ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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ももちゃんにはわからない。

2010-05-31 16:15:00 | ノンジャンル
こんにちは。

今朝は開店前に仕立て屋さん回り

ももちゃんの散歩も兼ねて出かけましたので、いつもとは違い、ちょっと遠くの仕立て屋さんのそばの神社を、お参りがてらももちゃんと歩いてみました。

小さな小さな氏神様をお参りします。

本殿脇の末社がいくつかありまして、そこもお参り。

と・・・

ももちゃんがしゃがみこんで、突然ウンP

不幸にも、いつもなら持っているはずのビニール袋をその時持ち合わせておらず、あたしは小さな声で、「神さま・・・ごめんね~」と謝りました。

・・・

どうぞ、バチが当たりませんように。



バアチャン、復活

2010-05-30 15:42:00 | ノンジャンル
こんにちは。

バアチャンのことを書きましたら、各方面からお見舞いのお言葉をいただいております。

この場をお借りしまして、お礼申し上げます。

ありがとうね。

おかげさまで今朝はイスに座りまして、これまでどおりの食事体制をとることができました。

昭和一桁の人間の底力でしょうか?
(ちなみにジイチャンは、大正一桁)

なかなかしぶといですよ。

それでもこれを機に、訪問看護師の手続きをいたしました。

新たな展開に、ジイチャンとバアチャンは何を思う?

生きている限り、それぞれの人生は回り続けるのであります。

穏やかでありますように。


田植えです

2010-05-29 13:15:00 | ノンジャンル
こんにちは。

昨日のバアチャン事件は、ことのほか大事無く一夜を過ぎ、今朝を迎えました。


(頭を3針縫っただけですが、バアチャン的には大怪我らしく、しっかり寝込んでいます。バアチャン、しばらくそのままおとなしくしていてください。・・・いろいろな意味で。)

昨夜、ブログをご覧くださったのであろうS宗会長からは、じきじきにお見舞いメールもいただきました。

こまやかなお心遣いが毎度のことながら素敵なS宗会長です。

会長の名がふさわしい、S宗会長でした。

この場をお借りして、あらためてお礼申し上げます。

S宗永年会長、ありがとうございました。


そんなことで、ありがたく今朝を迎えましたので、予定通り田植えです。

8時田んぼ集合で、市野さん、キミ君、ヨシヒト君が来てくれました。

天気も良し!最高のコンディション!と思っていましたら、田植え機が故障か?

エンジンはかかるのだけれど、右のブレーキのワイヤーが切れているようです。

毎年のことながら、すんなりと運ばない田んぼ同好会。

が・・・それもまた良し。

早速イセキの山本さんに電話。

「あにょ~、田植え機が壊れましたの・・・」

山本さんは、

「あ~い、待っててね~」

と言ってしばらくして、田植え機の代車を持ってきてくれました。

「今日のところはこれを使ってね」と言って、ついでに壊れた田植え機を見てもらいました。

右のブレーキワイヤーが切れているかと思ったのですが、山本さんがゴショゴショと機械をいじると何と復活!

「しばらく使っていなかったから、ワイヤーが固まっていたのでつね」

神さま、仏様、山本様・・・その時のあたしはそう思いましたね。

今後のためにも、良い経験となりました。

こうして田んぼ同好会は、着実に百姓への道(The road to hyakusyou)を辿るのであります。

山本さん、ありがとう。

その後、せっかくでしたので持ってきていただいた代車を使って田植え。



皆(あたしだけ、田植え機をさわりませんでした・・・あたしがやると、グチャグチャになる?)で力を合わせて、無事に田植え終了。


(苗の列が、毎年確実にまっすぐになってきているのがわかります・・・素晴らしい百姓仕事)

この後、苗繕いと除草剤の散布はあたしが引き受けております。

一人黙々と苗繕いをするのも、楽しいのだね。

きれいに苗が植えられた田んぼは、春の光に輝いておりました。

さて、これから半年後の収穫を楽しみに、また田んぼへ通います。

おいしいお米になってね。



バアチャン、危機一髪

2010-05-28 11:06:00 | ノンジャンル
おはよ。

昨日は8時に寝ました。

今朝は6時に目覚めました。

眠れるのだからしょうがない・・・(寝すぎでバカになっている気もする)

そして、今朝。

さわやかで、本当に気持ちが良い。

いつもながら朝風呂に入って、さて、ももちゃんの散歩にでも行こうか?と思っていたら突然の電話。

ジイチャンでした。

「バアチャンが倒れて、頭から血を流しています。」

・・・なぬ?

否も応もないですが、意識はありますか?と聞けば、話はできるという。

そこで、ちょっと安心。

すぐ行くと伝えて、猛ダッシュでジイチャン宅まで。

すると、すでに救急車が家の前に止まっておりました。

後から聞けば、バアチャンが気転を利かせてジイチャンに119をかけさせたらしい。

常日頃、何事かあったときは、まずは救急車に電話せよ!と言っていたのが功を奏したようです。
(ジイチャンからの電話を受けてすぐ家を出たあたしだったのですが、それよりも早く到着する救急車はさすがだと思いましたね)

病院へ搬送されて治療を受けたバアチャンでしたが、どうやら転んで頭を打った際、頭を切ったようでした。
(半身麻痺のバアチャンは、こうなると起き上がれないのです)

頭のキズは3針縫った程度で、CTを撮っても以上なしということで、11時ごろ帰宅。

ベッドに寝かせてちょっとホッとしたあたしでありました。

この後、頭の傷もさることながら、たぶん床に打ち付けたであろう体と、咄嗟に力を入れた筋肉がしばらく痛むだろうと思います。

病院にいる間に、心配になったジイチャンに呼び出されて、が来てくれました。

ジッとしていればやがて治る事ですので、しばらく姉に付き添いを頼んで、あたしは店に戻りました。

歳の事を考えると、父も母も、何事があってもおかしくはありません。

そして、何事かあった時、あたしは店を畳むことを決めております。

そうしなけりゃ、無理だもの。

ただ、願わくば、穏やかに歳月が流れてくれたらありがたい。

”メメント モリ”(=死を想え)

死を身近に感じながら生きるというのは、実はとても大切なことだと思っています。
(決して、死を恐れるということではありません)

バアチャン・・・大したことでなくて、良かったね。




目に見えぬ何ものか

2010-05-27 09:23:00 | ノンジャンル
おはよ。

爽やかな5月です。

こんな言葉が出るときは、決まってある詩を思い出します。


・・・爽やかな五月に (立原 道造)・・・

 
月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
 
溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
 
私は どうして それをささへよう!
 
おまへは 私を だまらせた……

 
《星よ おまへはかがやかしい
 
《花よ おまへは美しかつた
 
《小鳥よ おまへは優しかつた
 
……私は語つた おまへの耳に 幾たびも

 
だが たつた一度も 言ひはしなかつた
 
《私は おまへを 愛してゐる と
 
《おまへは 私を 愛してゐるか と

 
はじめての薔薇が ひらくやうに
 
泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
 
私の心を どこにおかう?



あたしの心の奥底に、この詩はいつも静かに眠っています。

あたしを形作っている一部ですよ。

そして、今朝は、こんなメールも・・・(全文転載)


去る5月25日、山田政治委員長は東京都杉並区長を辞職することを表明しました。
これにあたり、山田委員長が杉並区民あてに出したメッセージの全文を以下に記します。
その真意を汲み取っていただければ幸いです。

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区長辞職表明について
2010.05.26
杉並区民の皆さまへ
このたび杉並区長を辞任させていただくことになりました。
昨日午後1時、富本区議会議長に「区長辞職願い」を提出いたしました。

区民の皆さまには、3期11年1ヶ月にわたり、杉並区長としての私へのご理解と温かいご支援をいただきましたことに心から感謝いたします。また長きにわたって、政策実現のためにご協力くださった議員や職員を始め関係者の皆さまに、厚く御礼申し上げます。
至らぬ私でしたので、区長在任中はさぞかしご不満やご苦労があったのではないかと思います。心からお詫び申し上げます。
思えば11年前、「杉並を日本のモデルに!」と志して区長選挙に立候補いたしました。そして、「区民と一緒に日本一住みやすい街をつくっていきたい」という一心で皆さんと共に街づくりをおこなってまいりました。
しかしながらこの11年間、日本を取り巻く、世界の情勢は一変しました。混乱する日本にあって、「このような国家経営を続けていけば、日本は2、3年で破綻する。国が破綻すれば、国民生活も杉並区の改革など自治体経営も、すべて水泡に帰してしまう」そんな強い危機感のもと、私は志ある国民の皆さんと先月18日「日本創新党」を設立し、日本の本格改革のために、杉並から、地方から大きな波を起こしていくことを決意しました。そして日本創新党党首に就任し、永田町の「順列組み合わせの政党づくりでは、何にも変わらない!」と考え、区長としての仕事の少ない土日を使って、全国各地に回って日本創新党の思いを訴えました。そして本当に多くの国民の皆さんが、私たちと同じ思いであることを直接肌で感じ取ることができました。「杉並モデル」を、疲弊する国政の場にどうしても活かしたいという私の思いは日々強まっています。皆さんにはどうかご理解賜りたいと思います。

そんな中、今月31日には新議長選出のための臨時区議会が開かれることが決まり、また6月4日からの区議会定例会の開催に伴う議案検討などの時間を考え、そして今月30日に予定されている日本創新党の結党大会に臨むにあたり、区長と党首の両者を兼ねることは、必ず弊害が生まれ、「皆さんにご迷惑をおかけすることになる」との結論に至り、23日の日曜日に辞任を決意し、昨日の辞任表明に至った次第です。

私は区長就任一期目に、自らの公約通り「区長多選自粛条例」を全国で初めて制定し、区長は3期12年を越えて務めることができない旨定めました。したがって、私の任期は来年4月で終りを迎えます。今回の辞任により、約1年の任期を残しての退任は私としても断腸の思いであります。区民の皆さまには心からお詫び申し上げます。

しかし11年間の「杉並改革」で財政再建のめどもつき、また全国初の「減税自治体構想」のスタートも切ることができました。そしてさまざまな杉並ならではのサービスも充実させることができました。私がお示しした、大方の公約は実現できたものと考えております。

確かに、残された1年弱の区長の任期を全うすることは大切な責任のとり方ではありますが、今日の状況を考えるとき、日本そのものが直面している危機を回避させることも、杉並区長として仕事をしてきた私の責任であると思います。今の日本にとっては、この先数年はその進路選択や具体的処方箋づくり、そしてその実行が極めて重要となっています。まさに切羽詰まった状況にあります。

「長州だけの安泰を考えていてもダメ。日本国全体の改革を進めるとき」という、幕末の志士たちの思いが伝わってきます。

区政の発展には終りはありません。今後も私は一区民として、できうる限りの力で「住みよい杉並区」づくりに向けてどのような協力も惜しまない決意です。

どうか皆さま、今回の私の決断にご理解くださいますようお願い申し上げます。国政での仕事は多くの困難を伴なうものと考えています。今後も皆さんのご支援を賜わることを心より願っております。

本当に本当にお世話になりました。ありがとうございました。
   2010年5月26日
      杉並区長 山田宏


たびたびここでも書いていますが、次回参議院選挙であたしが応援します「日本創新党」の党首の山田宏さんの杉並区民へ宛てた文です。

熱い想いの底に流れる日本人らしい慈しみと優しさを、あたしは感じ取っています。

そしてそれは、現実に生かされなければ、ただの妄言に終わります。

ポツンとある一個のあたしですが、穏やかな暮らしの中で、目に見えぬ心の何ものかを研ぎ澄ませていたいと思っています。