こんにちは。
来週月曜日から寒波のせいで、いよいよ寒くなるそうです。
どちら様も、どうぞお体お大切に。
さて、一昨日に久しぶりに
長女登場。
元気そうで安心した
お父さんです。
学生の身分ながら、たくましく生きております。
困ったことがあれば言うのだよ、とだけ伝えております。
・・・
幸せになりなさい。
それだけが父の祈りです。
昨日のこと。
父(じいちゃん)が初めて介護施設の下見に行くことになっていた。
さすがに弱ってきた
じいちゃんですので、今のうちはまだあたしも風呂に入れてあげられますが、いよいよ足腰立たなくなっての入浴はじめ様々な介護は、いずれ
どちら様かに頼まないと無理なことと理解しております。
ただ、人見知りというのか人嫌いというのか、知らぬ人には慇懃無礼な態度をとりますじいちゃんで、プライドだけは高いのね。(さすが大正生まれ)
それを承知していますので、いきなりはまずいと思いまして、まずは介護施設の見学に
ヘルパーさんと行ってもらおうと試みた。
直前まで、
「わかった、わかった」と言っていたのですが、いざその時間が近づくと、
「絶対に行かぬ」とへそを曲げたらしい。
たまさか営業日の昨日の昼の出来事で、あたしは同道出来なかったのだ。
あたしが言うことには、その時は「はいはい」と言うのだけれど、
母やヘルパーさんには態度を硬化させております。
お世話になっております
ケアマネさんによれば、
アルツの人は(特に男性)こういうのが多いらしい。
とは言え、それがアルツであろうが老齢に寄るものであろうが、彼は
嫌なものを嫌と言っているだけなんだな。
じいちゃん、それも面白いじゃないか!
今回の試みは失敗しましたが、今朝じいちゃんには素直に伝えておきました。
「おじいちゃん、あたしに行くと言ってくれたのに、行ってもらえなかったのが悲しかったよ」
それを聞いて、じいちゃんは何を思う?
生と死の境目があるのかないのかもわかりませんが、間違いなく間もなく死のうとしている人間がいます。
人間らしく生きることと人間らしく死に行くこと。
それの意味は、死に行く者にとってもさりながら、彼ら彼女らの死を看取ろうとする者にも大きな設問を与えている気がします。
じいちゃんの存在は、めんどくさいんだけれど、仏教の公案に向き合っているような面白さもあります。
「下座に生きる」
そんな言葉を思い出したりもしました。
まぁ、いずれあたしも死ぬんだよ。
・・・今が教えとなれば幸いと思います。
尊厳のある生き方、死に方を学びたいと思います。
・・・
あたしの人生、ますます面白くなってきております。
一光を給わず 沙羅の 寒夜かな
(いっこうを たまわず さらの かんよかな)
寒暁も 現の闇や 父の夢
(かんぎょうも うつつのやみや ちちのゆめ)
士に 一光を引け 寒の朝
(さむらいに いっこうをひけ かんのあさ)