ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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過去最強の痛みに、七転八倒の日

2024-07-27 04:06:55 | 病気

おばんです。

連投気味ですが、昨日のことを記録。


朝、いつものように4時ごろに目が覚めて、大広間で薄いコーヒーを飲んだ。

(まだ腸が弱いと思って、自粛中)

その後しばらく、これもいつものように窓の外の夜明けを楽しみながらボーとしてベッドに戻る。

と・・・胃が痛くなってきた。

お腹を冷やした時に痛くなる感覚なので、看護師さんに、アイスノンの温かいやつ(ホットポットといいます)を持ってきてもらって、お腹を温めてみた。
(これは過去にもにも経験済み)

前回同様にお腹に押し当ててじっとしてみるが、段々に痛みが広がって、やがて腹全体が痛くなって、さすがのあたしも耐えられなくなってきた。

で、まだ6時にもならぬ頃だと思いますが、看護師さんに現状報告をして助けを求めた。

取り合えず鎮痛剤を飲んで様子をみる。

・・・が、痛みはいや増してきて、あたしの限界に近くなってきた。

で、こんな早くに普通は何もないところが、なんとこの日は腹のMRIを撮る予定があって、それが7:30.

タイミングが良すぎて、腹の痛みの原因を探すにも良いということで、腹を抱えて悶絶するあたしは、俎板の鯉よろしく検査室へと運ばれてそのまま検査。

そしてこれが1時間ほどかかるとおっしゃいますの。

この時点で、気絶しそうな痛みに耐えておりますPですが、痛みの原因をさぐらねば対処もできぬと理解はしていますので、死んでもいいからと検査続行。
(後から思ったのが、死んだふりしたらどうなったか?・・・できんかったけど)


MRIは、検査中体を動かせない。(固定もされる)

それをおよそ一時間、うめき声をあげながら気絶しそうになりながら我慢しましたね。
(お前はよく頑張った。今度タバコとビールおごったる)

何とか終わって、でも検査が終わっただけなので、対処の方法を得るまでこのままが続く。

それがまた、長い。

その上、朝のまだ9時とかそんな時間で、あたしは痛いのを我慢しながらただただ体を丸くして耐えるのだ。

それでもやがて、担当医などがぞろぞろとやってきた。

検査の結果も出ていないので様子だけを聞きにくる。

あたしの返事は全部同じ・・・

「痛ぇ~~~!痛いぇ~~~!痛ぇ~~~!」

実際、過去最強の痛みに、あたしは悶絶していました。


「もうちょっと、我慢してくださいね」

全員がそうおっしゃって、戻って行った。


看護師さんも入れ代わり立ち代わりやって来て、熱を測ったり血圧見たりとバイタルチェック欠かさず。

午後になってようやく、何か分かったようだ。

(この時も、悶絶度合いは変わらず、体温は38℃を超えていった。マジ、死ぬかもなと思ってました)

どうやら例のGVHDという原因で、免疫が勘違いをしてあたしの腸を攻撃しているのですが、今回薬の効き目が減ったのか?再び免疫が攻撃力を増してあたしの腸壁をただれさせているらしい。

想像できます?

あたしの腸の表面が、全体に皮がズル向けになっている・・・という絵づら。

ここはさすがに、「あぁ、ちょうですか」と冗談を言う余裕はなかった。

「痛ぇ~~~!痛ぇ~~~!」と呻きタダ耐えるしかなかった。


それでもお薬の点滴が始まったりし初めて、夕方頃、ようやく何となく1割、2割と、痛みが減っていったような気がしました。

夜の8時頃になったと思いますが、それでも痛みが半分くらいになったかな?

このあたりで、ようやく話ができるようになった。

バイタルも多少安定してきたようで、熱も37℃そこそこに落ち着いてきたようだ。

薬が効いているらしい、嬉し。

そんなことを思う余裕が出てきたですの。

まぁ、お医者たちも安堵したと思いますが、ありがとうございました。

おっしゃ!なんとか、生き残ったぜ!


この後、夜も更けたので、就寝。

まだ痛いですが、痛かったらこれを押せと言われて、あたしはいつもの大部屋で休むこととなった。


(手前のやつがボタンになっている)

中に痛み止めが入っていて、痛い時に自分でボタンを押してその薬剤を投与するという器具らしい。

看護婦さんが、「久しぶりに見たわ。前回移植患者さんがやったの見て以来」

という珍品らしく、他の看護師さんは、初めての方がほとんどでした。

で、痛けりゃ、何回押してもいいらしい。

まだ痛いから、その場ですぐに10回くらい押したりました。

そのせいか?やがて痛みも薄れていったのか?あたしはようやく落ち着いて眠りにつたようです。


明けてどうだろう、また4時くらいだったのかな?

すっかり体は疲れていますが、痛みは8割は取れていた。

これは大変うれしかったです。

のどが渇いていたですが、当然ながら完全絶食で朝の採血を待って、その後その結果次第で今後の方針も決まるようです。


しばらくして採血、そしてまたしばらくするとお医者登場。

少しなら水かお茶を飲んでもいいですよということで、机の上の常温の水を少しだけ飲んだ。

・・・あぁ・・・甘露!


バイタルはすっかり平常に戻ったようで、翌日の本日、これを書いています。

過去最強の痛みに耐えたというお話。

自分をほめると同時に、お医者や看護師さんに大変お世話になりましたことあらためて感謝しています。

本当に、ありがとうございました。


余談

痛い時は、何度押しても良いといわれたこいつ。



その履歴が、パソに残されているらしく、あとになって懇意の看護師さんが来て言うには、

「ニーミさん、この時10回くらい押してますね。あにょね、この機械、一回押すと15分間たたないと2回目が押せないようになっているんです・・・よほど痛かったんですね。」

意地悪ババァみたいな顔をして、笑って見せた。

う~む・・・今になって笑い話で済んでよかったと、正直思います。

また命拾いました。

ありがとうございました。








勝手に退院を宣言!

2024-07-19 04:39:16 | 病気

おはよ。

今日も早起きのため、早朝よりブログです。

ちょうどカギロイの頃というのかな?東の空にチラチラと光が見え隠れしています。

カギロイ・・・日本語、エエね・・・好き。


さてブログ。

相変わらずの治療生活で小さな変化はありますが、大勢として変わりがない。

その上で、その中での小さな出来事を最大限楽しもうとするあたしがいたりして、それだから何とかあたしの精神衛生も保たれていると思っています。

格別、FBなどからの知人友人からのご声援は何よりのモノで、お医者の薬と同様の大変な効果がありまして(時として、それ以上の)、有難くいただいております。

ありがとうございます。


そしてもう一つ。

いつ治るかわからぬ長期の療養生活(とはいえ、前回の8カ月ほどのことはないとは思っています)と聞かされていますので、その先が見えぬことへの我慢の限界というものもありまして、それの対処として、先の移植の時にも半分切れ気味に先生に直訴しましたが、今回も「お盆までに、あたしは退院しますので、よろしくお願いします」担当医に言ったった。

あのね、治療のための入院というのは理解していますが、それは実は、一日一日寿命が減っているともいえることにあたしは気が付いていたのでした。

考えても栓ないことなのですが、これも自然な感情の発露なので、理性で止められなくて自分に嘘もつけない。

それが言葉になって、大変正直に素直に、それの実現のための最短の方策として、担当医に直訴するという実行に出た。


医者泣かせ 勝手に盆を 退院日

「かなわんなぁ」 医者も笑って 盆を待つ

「言霊ね」 日焼け知らずの ナース言う


前回と同じ展開なので、お医者も慣れたもので、

「ニーミさんなら、やりますね」と半笑いで応えてくれました。

このM山先生、あたしの受け持ちに3人お医者がいますが、唯一前回もあたしの直訴に目を輝かせて「頑張りましょう!」と言ってくれた先生。

患者は、こういうのが何よりの力になる時があるんだよ。

ということで、先生、よろしくお願いします。

あたしは頑張りまっす!


この意思や われは主体か? 熱帯夜

生きて会う 飲んでやろうぞ 盆の夜

母は笑み 父は仏頂 盆の顔

馬牛(うまうし)は 野菜そのまま 盆供養




体はベッドの上ですが、心は自由に遊ばせて今ながらの生命を楽しみたいと思っています。

あら、もう一時間過ぎた。

随分明るくなってきました。

今日も雲が広いです。


地の夏を 引きずり進む 大雲塊


あまねく穏やかでありますように。

ありがとうございます。

追伸
暇に飽かせて、グーグルフォトの写真を、現在からずーっと遡って一枚ずつ見てやった。
家族中心、人中心で、あたしの歴史の一コマを待機画面に残していたらこれだけになった。
今度はこれをネタに何か書いてやろうと思います。




うちの冷蔵庫に貼ってある、兄妹3人。
あたしはこれが大好き。


(箸が鼻刺しとる)

長男お食い初めも出てきた。(若っ!)

地元の望州楼(あたしと同期で、高校大学が同じ・昔からの料理屋)で高膳を取って家で、ex妻のご両親も呼んで、みんなでお祝いしたんだ。

おかげさまで、子供たちがみんな元気で何よりだと思っています。



 


 


一瞬で人間が壊れる瞬間を見た。(メモ)

2024-07-13 17:14:52 | 病気

メモ代わりに、連投。

昨日のこと。

最近救急で運ばれたというおじいちゃん(75歳くらい)。

突然首が痛くなって、歩けなくなってしまい救急車で運ばれたらしい。

それでいったん他病棟にいたのが、4日目くらいにこちらに移ってきたようだ。

何の病気か?あたしは知らないし、お医者との話を耳にするにつけ、首と肩が痛い以外自覚症状がなくて、結構に元気に話すし動く。

で、昨日、担当医師とここまでの経緯を、救急車で運ばれる前から聞かれていて、細かいところまで覚えていることを話してそれに答えていた。

しばらくしてお医者が帰って、多分30分ほど、彼は横になっていたのだと思う。

突然「すみませ~ん」と彼が叫んだ。

しばらくしてもう一度、「すみませ~ん」と聞こえるものだから、あたしがナースコールして看護師さんを呼ぶと、彼は「どうしたんだ?なんだここは?」と一人で不思議がっていた。

どうやら寝ぼけて、一瞬、記憶が飛んだのかとあたしは思った。

が、どうも様子がおかしい。

看護師さんが、「トイレですか?」と聞くと「うん」と行ってトイレに行こうとするが「場所がわからない」と答えて動けない。

その後、「ここは32階だね」とか「工事の音が大きいね」とか、およそ己の別世界にいるようでした。

一旦は再度寝床に着いたようで、また一人になって、食事の時間になってそれが運ばれてくると、また彼が「すみませ~ん」とナースコールを押すこともまた忘れて人を呼んでいる。

そして看護師さんが来て彼が言った。

「ご飯がない」

で、看護師さんが気付くのだが、彼の目の前のテーブルにそのご飯が置かれている。

それがわからない彼でした。

格別暴れるとかそういう事はないので、こちらに大した被害はないのですが、それでも目の前のおじいちゃんが一瞬で壊れるのを見て、これをボケと言っていいのかわかりませんが、こういう形で突然なるということを知りました。

その後も、彼の中の世界に彼はいますが、対人的には看護師さんと普通に話します。

ただ、クスリを飲めと言われれば飲むし、点滴だと言われれば受けるし、体温が高いと言われれば「困ったねぇ」と答えて普通の会話と変わりませんが、元々の自分が今何でここにいるのか?ということを不思議がっている節があります。

元気のいいおじいちゃん、無事に過ごされることを祈っています。
(一人で歩いてはいけません、トイレも呼んでくださいとナースに言われて、今も「おしっこです」とナースコールで答えながら、一人でさっさと歩いて行ってしまいました。まぁ、元気なんだな、きっと)

以上、メモ。


お見舞いに来てくれました。

2024-07-11 22:30:56 | 病気

こんばんは。

珍しく、夜に書きます。

前回からあっという間に一週間が過ぎたのですが、まぁ体の方は相変わらずというところで、ただ、血液検査などの数値を見る限り、GVHDの下痢の症状以外は格別悪くなくて安堵しています。

お医者からも毎度「時間がかかりますけどね」と、諭されておりまして、あたしもそれながらに時間がかかることは覚悟しておりますが、それでも早く退院したいのは人情で、そこは何とはなしに、お腹をさすりながら「早く良くなってね」と念じたりしております。

と、そんなこの頃。

昨日は、大変珍しくというか、初めて面会者が現れた。

お一人目がこちら。



遠く鎌倉からおいでになりました三神さん。(まぁ、本人の許しは得ているから名前出し)

何とも不思議なご縁のこの方ではありますが、あたしがお肉を通販で買うところのしゃっちょうさんで、今はそれにとどまらず八面六臂のご活躍をされておられますご仁です。
https://sano-premium-italian.com/

で、忙しい体で、こんなジジィのためにわざわざ来なくていいと言っているのに、来てくれた。

10:00頃、あたしの予定が開いている頃を見計らってご来院いただき、一般の休憩所の椅子に腰を下ろして初めての邂逅を喜んだあたしでした。

At last ! のあたしの開口一番のあいさつで握手。

・・・でっかい手!

そしてハグ!・・・でっかい体!

ただ、全く圧は無くて。それはそれは優しく穏やかな彼でした。


一般の休憩するところのソファーに二人腰を掛け、しばらく談笑。

初めてなんだけれど、何かしらん、既知の友みたいに話して大変楽しかったです。

20分ほど一緒だったのか?やがて彼と別れます。

またまたでっかい体で握手とハグをして、彼は次の土地へと向かっていきました。

三神さん、お見舞い本当にありがとうございました。

お目にかかれて嬉しかったです。

あなたからエネルギー存分に頂きました。

治療、頑張ります。

ありがとうございました。


という午前を終えて、午後。

今度は、あのご夫婦が、定休日だということで時間を作って、お越しくださった。

この頃のことに、お母様が多少手間がかかるようで、特にみずちゃんが大変らしいですが、それでもご主人の直木さんと一緒に会いに来てくれた。


(改めて、そっくりな夫婦になってきたなと感じた時でした)

あたしが病気になってから、もちろん初めて。

だから、一年近く会ってないかもしれない。

まぁ、相変わらずのお二人で、それは仲良くて楽しいご夫婦でした。

「ぴかさんへのコメントに、気を使っているんだよこの人」

と、こっそり教えてくれるみずちゃん。

いつもあたしとFB上で毒付き合っているのですが、そんな彼のあえての心づくしを、あたしはいつも感謝して受け止めております。

直木さん、ありがとうね。

そしてみずちゃん、ありがとうね。

あなた達の励ましで、ますます退院への意欲がわいてきます。

ジジィ、まだまだ頑張るから、また遊んでください。

よろしくお願いします。

本当に、ありがとうございました。


今日は、カプセルカメラ再びで、その後の小腸の様子を調べたようです。

下痢のせいで肛門が痛いのもつらいですが、なぁに、移植のあの時を経験したあたしには大したことではない。


(むくみも相変わらずひどいですが、これも我慢できる範囲です。歩けないのがちとつらいけどね。)

お医者を信じて乗り切るだけと、意外に心は軽いです。

でもね、早くコウヤにご飯作ってやりたいなとかあるのも事実。

ここは焦っても仕方がないから、お任せの時間を過ごします。


皆様のおかげで、穏やかに過ごしております。

その分、皆様が穏やかに過ごされますようにとも念じています。

この時期、お体だけは、どうぞどうぞお大切にお過ごしください。

ありがとうございます。




流動食からの解放

2024-07-04 03:42:57 | 病気

こんばんは。

夜中の3時です。

目が開いてどうしようもないので、ブログ、書きます。


一昨日、お医者の許可が出て、19日目にして流動食から解放された。

当初、少しずつ食べられるものにしましょうかね・・・という感じだったのですが、いざ実食となりましたら、

翌朝から、いきなりこれが出た。

据え膳食わぬは男の恥でございますから、ありがたくいただきました。

(本人、いきなり食えるか?と思っていましたが、食えるもんだね)

ただ、その後しばらくは、やはりというかななんというか下痢が治まらずに、半日トイレを行ったり来たりしましたよ。

それでも、こうしたご飯が食べられる判断をいただいたということは、あたしがそれなりの回復をしていると見立てられたと思うと、それは嬉しいのであります。


で、その日は3食、ご飯こそお粥ですが、しっかり献立通りをいただきまして、明けて翌日の昨日。

この日は大腸カメラがありまして、朝からまた絶食の上こちらを飲んで、昨日食べたものを全部排出するという、直木さんいうところのイジメみたいな行事が続きました。



これが大変まずい。

過去にも3回やりましたが、同じものながら、今回は格別不味かったような気がしました。

それでも、治療のためなら仕方がないので、9時から11時にかけておよそ1.5Lをゆっくり飲む。

飲んでしばらくすると、すぐ便意が表れてトイレへ。

これを10数回繰り返すと、便が透明になって、診察におあつらえ向きとなるのですね。


一応準備が整ったと検査部に報告はいったようですが、他の患者との調整もあり2時間ほど後にいよいよカメラ。

この頃になると、朝昼食べてない上に例の下剤で疲れてしまっていましたね。

それでも車いすに乗せられて、検査室へ。

前回カメラで初めて麻酔なしをやったらめっちゃ痛かったので、今回は麻酔でカメラだよ。

・・・

知らんうちにあっという間に終わって、半分寝ぼけながら部屋に戻りました。

その後も眠くて半寝しながら、そのせいで今午前3時の丑三つ時に、棟の応接室でこれ書いてます。

良い結果を願っています。


前回のおじいちゃんに続き、もう一つあたしの気にとまったことがある。

当然ながら、入院している人がいずれ退院していかれます。

そんな人たちの中に、たまたま同室の誼(よしみ)もあり

「ご退院、おめでとうございます」

と声を掛けますが、中に、

「退院したくないんだ・・・」

と、愚痴のようにおっしゃる方がいる。

どうやら、家に帰っても誰もいない、世話をしてくれる人もいない、頼む人さえいない・・・という理由があるみたい。

なるほど、そういうこともあるだろうと、あたしはようやく気付くのでした。

(あたしなんざ退院したいばっかりだから、つい「おめでとう」になってしまうのね)


そしてまた考えた。

図らずもそうなった人もいるだろうが、わかっていながらそうなるべくしてなった人もいる。

自己責任とかを言うつもりはなくて、それは本当に、なりたく無くても体がそう動いてしまうとか、障害があるとか、言わなくてもいいことを言ってしまうことを抑えられないとか、いろいろあるですね。

で、退院したのちに困る自分がいるから、退院したくないという結論。

さて、どうする?

・・・わからん。

一つ期待できるとすれば、政治力。

つまり、望まぬのに萬止むを得ずそうした人は、政治で救うしかないかもと思うのでした。


関係ない話を一つ。

小学校くらいかな?

家族で晩御飯を食べていて、何かの拍子にテレビかで可哀そうな捨て子の絵が映った。

それを見て、助けてあげたらいいのに・・・とあたしが言うと、が、「芭蕉は、その子を見捨てた」と言った。

つまり、旅の途中で芭蕉さんが捨て子を見つけたときに、およそ世話ができるはずもなく、その子の生い立ちこそ恨め、その子に罪はなく、それをひっくるめて許せと念じながらそこを立ち去ったというお話を、父がしてくれた。

子供心にこれはある種、良い教訓になったと思っています。


まぁ、そういう事が、この退院患者にも当てはまると思うのね。

だから、国家とかという単位でないと対処できないことかと思うのでした。

そんなことを考えながら、あたしは幸せである・・・という結論でした。ちゃんちゃん。


あたしが幸せなわけの、一部紹介。



少し前の長男からの便り。


とっとと元気になれというのが、長男らしい。



次男は良くやり取りしてますが、一人でダイエット頑張ってます。

随分頼りがいが出てきました。




琴美ちゃん。

全方位に馬力の違いを見せつけております。

そんな琴美ちゃんに、いつも助けられています。

琴美ちゃん、ありがとう。


まだまだたくさんのご縁のお陰のあたしですが、それがまたあたしの幸せの原動力でもありますの。

みなさん、ありがとうございます。

早く退院して、みんなと遊ぼう。

よろしくお願いします。