ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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次男の自立

2017-02-28 15:20:00 | ノンジャンル
こんにちは。

次男が会社の都合で、毎日が日曜日になりました。

これもご縁と思うお父さんは、この機会に、次男の自立養成期間とします。


25歳になる次男は、これまで自分でご飯を作ったこともなければ、洗濯をしたこともない。

そこで今後を、自立に向けての強化期間といたします。

お父さん、になります。


いささかの事情があります次男ですから、あたしがいなくなっても、何とか一人で生きて行けるような訓練は必要だとかねがね思っていました。

ただ、実をいうと、やってやる方が簡単なんです。

でも、それではだめなんだな。

ということで、この頃は食事と洗濯を教えています。


まず教えたのが、最悪、腹が減ったら、カップラーメンを食べること。

湯沸かしポットで湯を沸かし、食えるカップラーメンを作る。

これは出来る。

次に教えたのが、ご飯を炊くこと。

ごはんが炊けたら、おかずはスーパーで買ってくれば良いと教えた。

お金を渡して、好きなオカズを買っておいでと言ったら、刺身を買ってきた。

これも、クリアーした。

そして、昨日は、目玉焼きを作った。

火が怖いらしいので、ガスレンジを御すのが難関です。

でも、それができないと生きていけません。(と、あたしは次男を脅しています)

さて、これまで毎朝出していたのが、目玉焼き。

キャベツとトマトときゅうりの付け合せに、ウィンナー2本と目玉焼き 味噌汁に納豆とモズク酢が、彼の朝定食です。

キャベツとトマトときゅうりは、野菜ジュースでも補えると思った。

納豆とモズクは、買ってくれば良い。

が、目玉焼きは、おのれで焼くのです。

それを伝授いたします。

やがて・・・

彼は見事に完成いたしました。

(感動のあまり、写真を撮り忘れました)

この後、何度か繰り返せば、彼はものすると思います。


味噌汁も作りました。

「だいたい一回分は200ccで、鍋のふちにメモリが付いているから、それを目安にすると良い」

乾燥ワカメとアゲを入れて、一人分のお味噌はスプーンでこれぐらいなんだと見せて、作らせてみました。

・・・出来上がった味噌汁は、ちょっと薄めの2重丸。

普段は玉ねぎとか大根とかも入れますが、包丁もちょっと怖いらしい。

玉ねぎと大根がなくても、とりあえず死にはせんだろう。


まだまだ、養成期間は続きます。

そんな次男を見ながら、

「はて、生きるのに必要な力とは何だろう?」

と、我が身を振り返っていたあたしでした。


孔也君、楽しんで覚えてね。


(困ったら、すぐに兄ちゃんや妹に電話するんだよということは、第一に教えています。
彼の生命線は、実はこれだと思っています)



温泉に行こう!

2017-02-24 11:22:00 | ノンジャンル
こんにちは。

まだまださぶいです。


春は花

夏ホトトギス

秋は月

冬 雪冴えて

涼しかりけり (道元)


・・・

あたしには無理です。

サブいのが大嫌い。

温暖な愛知県に生まれて、それはありがたくも幸せですが、寒いのが嫌いというのは克服できません。

修業が足らんのか?


さて、そんな昨日は定休日で、たまたまこの頃、次男の勤める会社が建物を建て替えることになって、正規の社員ではないので実質退職扱いとなりました。

次があるのかどうかもよくわからぬ次男ですが、何とか再びお世話になれたらと念願しています。

で、そんな次男が家でゴロゴロとしているのも忍びなく、お父さんは温泉に行こうと思ったんだ。

年末からここまで、お父さんだってがんばってきたんだよ。

少しぐらい、おのれにご褒美もいいぢゃないか?

ということで、あれこれネットで探したら、

「バーデンパーク曽木」

というところが見つかった。

土岐にあります曽木温泉というところらしい。

行ったこと無いですが、ここに行ってみるです。


午前8:00

フリード君で、出発。

ナビによれば、高速を使うと1時間半くらいでつくらしいですが、次男の暇つぶしを兼ねていますので、あえて下道でのんびりと走ってみました。

朝の8時は、実はラッシュでした。

半田を脱出するだけでも、40分かかりましたね。

それでも車中で、ア~ダコ~ダの話をしながら、次男が楽しそうだったので良しとします。


豊田から奥に進むと、すっかりと山の中。

その山道をいくつか越えまして、11時、目的地に到着。



今風な建物でした。

入浴料が一人550円だったかな?

早い時間だからと思いながら入りましたら、地元の方と思しき皆さまが結構おられました。

なんというのか?エクササイズルームみたいなところも完備していまして、中高年の方が使っておられましたね。

さて、風呂。

それほど大きくありません。

でも、サウナもあって、必要十分でした。

次男とそれぞれ好きなだけ堪能してやりました。

・・・広くて深い湯船というのは、ごちそうですな。

あたしはこのためだけに、温泉に来るのでした。


十分に二人で楽しんで、そこを出た後は、せっかくなのでこの近くにあるという

「土岐プレミアムアウトレット」

というところに参りました。

名前は知っていましたが、行ったこと無い。

そもそも、実利一辺倒のあたしですから、ブランドを気にしたことがない。

それでも、今回、次男のウィンドブレーカーがヨレヨレになっていたので、何か買ってやりたいと思いましたところで、不思議なもので、自分ならなんでもいいところを、次男にはそれながらのブランドものを買ってやりたいと思ったのですの。
(親の欲目って、おかしなものだなぁと我ながら感じつつ)

たまたま近くの温泉に来たからというのもありましたが、これがご縁というものか?二人でそこへとやってきました。




広くて良くわかりません。

でもやっぱり、ファッションのお店が多いですね。

とりあえずでしたが、ともかく腹が減っていた。

ものすごく腹が減っていた。

で、食べ物屋さんを探しましたところ、パスタ屋さんがイイとなってそこへ。

さすがに、そこはアウトレットではなかった・・・(あほ?)


次男が満足したので、いよいよスポーツ用品のお店を探しました。

アディダスがありました。

入って、店員さんに聞くと、

「こちらの商品ですと、もう一つのアディダスが扱っているかもしれません」

と教えてくれて、そちらへ。

また店員さんに聞いてみると、

「あと一つだけ、あるにはあります」

とおっしゃる。

実は次男、家でも外でも、この寒い時期は、ずっと冬用のウィンドブレーカーを愛用しますが、前開きのものでないといけない。

あと、サイズがでかい。
(170cm 86kg ながら、きついのは嫌い)

かぶりのものは品数も多かったですが、前開きの次男の好みに合うものはあと一点しかないという。

「これ、人気商品で、売れてしまいますた・・・」

と笑顔で応えるオネイサン

それが、4Lというサイズ。

とりあえず、次男試着。

で、試着室の外から、お父さんが声をかける。

・・・奥から声が、

「これでいい」

そして試着室を開けてみると、すでに試着を終えて、彼はそれを脱いでいた。

・・・

おまえ・・・マジで、それで、ええのかい?

さすがに4Lはでかそうだと思いましたが、本人がイイというから、買いました。

孔也君、今度は、試着室では着ているところを見せてね。


50%offで8000円そこそこのお買いもの。

当のご本人は、とても嬉しそうでした。

随分と丈の長いズボンだと思いましたが、まぁ、これだけ喜んでいただければそれもありだと思いました。
(デザインはかっこよかったです)

それからしばらく、ブラブラとしました。

あたしの気になるところでは、コールマンとかビクトリノックスとかありまして覗いてみましたが、欲しいものはなかったな。

歩いている方々を、それながらにウォッチング。

こういうところだからか?オサレな方が多かったと思いました。

平日にもかかわらず、そこそこ人も出ていて、面白い空間でした。


さて、帰る。

帰りも、違う下道を通って、午後3時無事帰宅。

穏やかで楽しい一日でした。


孫に会いに行く!

2017-02-20 14:20:00 | ノンジャンル
こんにちは。

お陰さまで、穏やかです。

ありがとうございます。

そんなこの頃、産後のお嫁ちゃんがいよいよ3月の11日に、実家の長崎から広島の息子のところに帰ると知った。

・・・孫に会いに行きたい。

が、孫に会うだけなら、3月11日を過ぎてもOKだ。

ただ、長男の親として、長崎のご両親には、是非にもお目にかかってお礼も言いたいところです。

・・・

行くぜ!


次男の予定も聞きながら、二人で、長崎へと向かいたいと思います。

それが、3月の1日と2日の一泊2日。

決めたら行動の早いお父さん。

早速にネットで、往復の航空券、宿の手配、レンタカーの予約・・・入れたりました。


陽ちゃん、会いに行くぜよ。

ご両親さま、お世話になりまして、本当にありがとうございます。

これがご縁で、初めて伺います。

ようやく、念願がかないます。


心から、楽しみにしています。




無事、数え年の60歳。還暦。

2017-02-17 10:18:00 | ノンジャンル
おはよ。

昨日、とうとう還暦となりました。

満59歳。

何とか無事に人生の暦を一巡したと思うと、悲喜こもごもながらありがたいというのが先に立ちます。

いろいろなお方から、お祝いメールもいただきました。

それもまた、ありがたいのでした。


昭和33年2月16日。

今は近くの介護施設にいますばあちゃんが、あたしを産んでくれたんだな。

あたしはどうも、出来の悪い赤ちゃんだったらしく、親を殺すか子を殺すかという判断をは迫られたらしい。

その時に、たまたま運よく、生まれたらしい。

あたしの命は、もともと強いのかもしれない。

ただ、幼いころは病弱で、親には随分と面倒をかけ続けたと、姉たちからも聞いていた。

幼稚園は休んでばかりで、小学校は当時、養護教室という体が弱い子ばかりが集まったところにいた。

あたしの記憶では、いつも居間の布団で寝ていて、未だに天井板のシミを覚えている。

(することがないから、天井の木目やシミを見て、動物に見立てたり人の顔に見立てたり、そんなことをしていたのを覚えています)

小学生も3年生になる頃には、それでも元気になったようで、それ以後は普通になりました。

ただ、それから今までのことを振り返っても、断片的に思い出すのは、悪いことをしたことの方がよく覚えています。

これはあたしの性格なのかよくわかりませんが、実際、イイことをしてこなかったからかもしれない。

10年ほど前に、こんなことを書いている。

・・・

わたくしは ニイミテルトと 名を賜う

わたくしは 父孝士 母友子の子

姉 太佳子 博子 の加護の下の我

幼くは 病床にある 弱き我

弱きゆえ 辻先生と 鮒を釣る

青春は 思い出も 矢のごときなり

なるように なるべくように 跡を継ぎ

確信も無き おぼろなる 夫婦かな

「新美」とは かくもきびしき 家系かな

命削る 吾子の時間と 同調し

生まれ出ず 吾子の初息や 大万歳

水子とて 命なるなり 妻の涙 

過ぎたるは 時と間(はざま)の 重さかな

吾子二十歳(あこはたち) 別の命を 感じおり

父九十 母八十の 穏やかさ

わたくしは わたくし ならし召されたり

・・・

わたくしは ニイミテルトと 名を賜う


・・・

そうして昨日、お陰様で還暦。

父を昨年送り、母は何とか存命で、子供たちもそれぞれに元気そうです。

この頃は、まで生まれました。

姉たちの援助もいただき、あたしは幸せだと信じられます。


とは言え、これ以上の望みはないながらに、人生は楽しみたい。

あたしの命は、それを求めています。

楽しむぜ!


お祝いいただいた皆様、本当に、ありがとうございました。

今後とも、よろしくお付き合いをお願いいたします。