仕事をしていると侮辱されたり、誤解されたりして落ち込むこともあるのではないだろうか。
仕事の道楽化を目指すためにも、余計なストレスを感じて落ち込むのはよくない。できていない点の改善にエネルギーを注いだり、次の仕事を楽しんだりする方が遥かに生産的である。
侮辱や誤解を受けても、自分は結構乗り切ることができる方である。(と思っている。)それは、イエスキリストのエピソードを思い出すからである。
イエスキリストは、現在世界で最も信者が多い宗教である。この教えで救われている人は多いはずである。その偉大な宗教家であるキリストを周りの人はどう見たか。
もちろん救世主としてみた人もいたが、キリストの教えを理解できない人もおり、イエスは迫害され、裁判にかけられ、磔の刑に処せられた。
イエスキリストほどの偉大な人でさえ、周りから理解されなかったのである。
人から誤解されたり、侮辱されたりするときは、いつもキリストのエピソードを思い出す。
「人から誤解されるのは、世の常なのだ。」と思うことにしている。ましてや自分の場合、自分自身が至らぬところもあるから誤解されるのである。「自分自身が変わり、改善できることがあれば直そう」と考えることにしている。
誤解や侮辱を受けたらイエスキリストのエピソードを思いだす。これで自分が受けた誤解や侮辱がちっぽけなものに感じると思うのだが、いかがだろう。