世の中には、唯物論を信じている人、あの世の存在や転生輪廻を信じている人がいる。
バリバリの唯物論者で、「あの世などない。死んだら終わり。」という人がいると聞いて、びっくりした。
自分は転生輪廻を信じている。
あの世があることも信じている。
神様、仏様のような存在がいることも信じている。
世の中には「あの世はない、神仏もいない。」という唯物論の人もいる。
心の底から「死んだら終わり、何もない。」と信じている人である。
そういう唯物論の人は、恐い。
道徳心の根本が欠けていると思うからだ。
自分の場合、道徳的な行動を促す動機の一つは、
「お天道様が見ている」
である。
神仏のような存在が、自分の見ていると信じているから、少しでも良い行いをしようと考えるようになる。
(他の人の目があるから良い行いをするのは、真に道徳的ではないかもしれないが・・・。)
「あの世はある。この世でなした結果があの世で反映される」と思えば、真っ当に生きようとするだろう。
逆に、唯物論の人のように、「この世で終わり」と思っていれば、悲惨な犯罪でも犯してしまうような気がする。
歯止めとなる思想がないからだ。(唯物論の人は、どんな判断基準で行動するのだろう?)
どんな思想を持っていても自由だけれども、私が感じている「唯物論の人は恐い」と思う自由も許してほしい。
バリバリの唯物論者で、「あの世などない。死んだら終わり。」という人がいると聞いて、びっくりした。
自分は転生輪廻を信じている。
あの世があることも信じている。
神様、仏様のような存在がいることも信じている。
世の中には「あの世はない、神仏もいない。」という唯物論の人もいる。
心の底から「死んだら終わり、何もない。」と信じている人である。
そういう唯物論の人は、恐い。
道徳心の根本が欠けていると思うからだ。
自分の場合、道徳的な行動を促す動機の一つは、
「お天道様が見ている」
である。
神仏のような存在が、自分の見ていると信じているから、少しでも良い行いをしようと考えるようになる。
(他の人の目があるから良い行いをするのは、真に道徳的ではないかもしれないが・・・。)
「あの世はある。この世でなした結果があの世で反映される」と思えば、真っ当に生きようとするだろう。
逆に、唯物論の人のように、「この世で終わり」と思っていれば、悲惨な犯罪でも犯してしまうような気がする。
歯止めとなる思想がないからだ。(唯物論の人は、どんな判断基準で行動するのだろう?)
どんな思想を持っていても自由だけれども、私が感じている「唯物論の人は恐い」と思う自由も許してほしい。