「スパイダーマン ノー・ウェイ・ホーム」を観て来た。
面白かった。
脚本がいい。
アイデアがいいのである。
特に、これまでの「スパイダーマン」シリーズを見てきた人にとっては、満足できる作品だと思う。
サム・ライミ監督版のスパイダーマンから見てきた自分にとっては、これまでの集大成のような作品となった。
本作では、前作で顔と名前がバラされた、ピーターことスパイダーマンは苦境に陥る。
そこで魔術師のドクター・ストレンジに頼んで、みんながピーターがスパイダーマンであることを忘れる様な魔術を頼む。
その魔術が失敗したことにより、「マルチバース」という多次元宇宙の世界が現れる。
「マルチバース」とは何?と思われるかもしれないが、可能性の世界がたくさん現れるということである。
これまでのシリーズで出てきた悪役キャラが次々に出てくるのである。
「どうやって戦うのだろう?」と思っていたら、サプライズで、さらにすごいキャラが登場してくる。
詳しく書くとネタバレになるので書かない。
これまでの「スパイダーマン」「アメイジングスパイダーマン」が好きな人にはおすすめの映画である。
スパイダーマンが映画化されたのが20年くらい前なので、ストーリーをだいぶ忘れていた。
復習のつもりで動画をいくつか見たが、見ておいてよかった。
ただ、突っ込みたくなる内容もある。モヤッとした点である。
「悪役を救う」というのは危険すぎる判断ではないか?という点である。
ここからは、少しネタバレになるので、映画未見の方はご遠慮ください。
今回の作品は、「過去の悪役キャラを救う」というストーリーでもある。
救うことに魔術師のドクター・ストレンジは反対するのだが、私も同意見である。
あまりにも危険すぎるからである。
過去の悪役キャラは、とてつもないパワーを持っている。(そんな悪役だから、これまでの映画も面白かったのである。)
そんな悪役キャラを救うとなると、必ず被害に遭う人も出てくる。(実際に出た)
悪役キャラを救うと決心したスパイダーマンの判断のために、犠牲になる人も出たのである。
それならば、救わないほうが妥当な判断ではないかなあ。
・・・でも、それだと今回の映画も作品としては成立しなくなるかな?
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