日本という国は、昔も今も変わらない問題を抱えている。
それは、仕組みを作らないということである。
人やお金、モノの準備をしないまま、事業を進めるところである。
昔であれば、戦争の時がわかりやすいだろう。
人やお金、モノの準備をしないまま、兵隊を戦地に送った。
食料や弾薬が不十分なままだったので、苦しい戦いを強いられた。
ジャングルの中で、病気や怪我、飢えで苦しみながら亡くなった方も数多くいる。
「現場で工夫せよ」と言い、トップは現場を知らないまま作戦を進める。
今も同じようなことが起きていると考えている。
令和の日本型教育という言葉をよく聴く。
大切なのは次の2つである。
「個別最適な学び」と「協働的な学び」の実現である。
この中の「個別最適な学び」を進めるために、次のような取り組みをすることになっている。
「指導の個別化」に関して
子供一人一人の特性・学習進度・学習到達度等に応じ、教師は必要に応じた重点的な指導や指導方法・教材等の工夫を行う
→ 一定の目標を全ての子供が達成することを目指し、異なる方法等で学習を進める。
「学習の個性化」に関して
子供一人一人の興味・関心・キャリア形成の方向性等に応じ、
教師は一人一人に応じた学習活動や課題に取り組む機会の提供を行う
→ 異なる目標に向けて、学習を深め、広げる
やろうとしていることは素晴らしい。必要だと思う。
問題なのは、実現するには、人もお金もモノも不十分だという点である。
特に、人が足りない。
赤文字で書いたところがある。
「一定の目標を全ての子供が達成することを目指し、異なる方法等で学習を進める。」
「教師は一人一人に応じた学習活動や課題に取り組む機会の提供を行う」
これを、これまでと変わらない職員の数で実現可能なのか?
「異なる方法等で」「一人一人に応じた」は、必要だが、それを実現するためには、学級の定数が20人以下でないと厳しいだろう。
令和の日本型教育を作った人は、理想をつくるのは優れているのだろう。
しかし、教育現場を知らない人なのかな?と思ってしまう。
現場の忙しさを知っていれば、実現の難しさも分かる。
日本という国は、「仕組みを作らない」「人やお金、モノの準備をしない」という問題を抱えている。
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