「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2006・06・11

2006-06-11 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002〉のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。

 「昭和八年の物価指数ということが、戦後しばらく言われた。昭和八年に返りたい、返ろうと昭和八年が理想とされたことをいま四十代以上の男女はおぼえているだろう。そして忘れただろう。
 昭和二十年代は昭和八年はよかったなあと官民ともに思った時代なのである。それがあとかたもなく忘れられたのは昭和三十年代に追いついて、たちまち追いこしてしまったからである。昭和十五年はうそかまことか皇紀二千六百年に当るといって、満州国の皇帝を招いて国威を発揚するつもりだろう、東京中満艦飾にして大盤振舞をした。
 物資はこのころから欠乏しだしたからこれが最後の大盤振舞だろうと分った。丸ビル内の洋服屋のショーウインドーには飾るものがなくて、スフの国民服甲号乙号がしょんぼり飾ってあったのをおぼえている。それは表向きで本当に衣食に困りだすのは昭和十六年からである。けれども開戦の日に私は新橋の天ぷら屋『天春』で友と酒を飲んで天ぷらを食べている。インフレになるぞ、なるぞと新聞は書いたがヤミになってもインフレにはならなかった。なったのは戦後である。」

   (山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
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