今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。
「私の自転車は郵便配達の払下げである。中古だが頑丈いっぽうである。荷台に私は八貫匁(三十キロ)のせる。それ以上のせることはできるのだが、私の力では前があがってしまう。八貫匁が限度で私は毎週買出しに行った。米味噌醤油南京豆まで売ってもらった。南京豆は充実してはじけるばかりである。私はこれらすべてを金で買った。品物で買うとくせになる。当時はまだ金で買えたから金で買ったのである。いくらで買ったかおぼえてない。記録もない。荷風の日記には闇値が書いてあるが、公定価格が書いてないからいくら闇なのか分らない。
私の給料は二百円にあがっていた。ほかに百円たらずの収入があったが、これだけの買出しをしてなお貯金ができたからまだたいした闇値ではない。妻は南京豆が食べたいという。西瓜が食べたいという。私はそんなものは食べたくない。第一西瓜はごろごろしてあれをつむとほかのものがつめなくなる。縄がかけられなくなる。かけてもずるずるすべるのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「私の自転車は郵便配達の払下げである。中古だが頑丈いっぽうである。荷台に私は八貫匁(三十キロ)のせる。それ以上のせることはできるのだが、私の力では前があがってしまう。八貫匁が限度で私は毎週買出しに行った。米味噌醤油南京豆まで売ってもらった。南京豆は充実してはじけるばかりである。私はこれらすべてを金で買った。品物で買うとくせになる。当時はまだ金で買えたから金で買ったのである。いくらで買ったかおぼえてない。記録もない。荷風の日記には闇値が書いてあるが、公定価格が書いてないからいくら闇なのか分らない。
私の給料は二百円にあがっていた。ほかに百円たらずの収入があったが、これだけの買出しをしてなお貯金ができたからまだたいした闇値ではない。妻は南京豆が食べたいという。西瓜が食べたいという。私はそんなものは食べたくない。第一西瓜はごろごろしてあれをつむとほかのものがつめなくなる。縄がかけられなくなる。かけてもずるずるすべるのである。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)