今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。
「私はじゃが薯里芋まくわ瓜以下たいていのものが買えるのに熱中して毎週日曜には買出しに行った。そしてそれを麹町の事務所へかこんだ。ほうれん草の如きは八百屋で一円二十銭である。農家でいくらだか知らないが高くないにきまっている。軽くて荷にならないから毎日はこんで客に進呈して喜ばれた。ことにこの篤農家のそれは他とくらべものにならなかった。南京豆や小豆は頼まれれば買ってあげた。ただし薯類は重いからごめんである。
麹町の事務所はあいてさえいれば誰かが来る。次第に行くところがなくなって立寄るのである。寄れば何かを持ってくる。はじめはサントリーでありニッカであったが次第にオーシャンでありアイデアルになった。しまいにはアルコールになったがすすめられても私はなめるだけで飲まなかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「私はじゃが薯里芋まくわ瓜以下たいていのものが買えるのに熱中して毎週日曜には買出しに行った。そしてそれを麹町の事務所へかこんだ。ほうれん草の如きは八百屋で一円二十銭である。農家でいくらだか知らないが高くないにきまっている。軽くて荷にならないから毎日はこんで客に進呈して喜ばれた。ことにこの篤農家のそれは他とくらべものにならなかった。南京豆や小豆は頼まれれば買ってあげた。ただし薯類は重いからごめんである。
麹町の事務所はあいてさえいれば誰かが来る。次第に行くところがなくなって立寄るのである。寄れば何かを持ってくる。はじめはサントリーでありニッカであったが次第にオーシャンでありアイデアルになった。しまいにはアルコールになったがすすめられても私はなめるだけで飲まなかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)