今日の「お気に入り」は、山本夏彦さん(1915-2002)のコラム集から、昨日と同じ「『戦前』という時代」と題した昭和60年の連載コラムの一節です。
「戦前の出版社は電話と机だけで創業出来る商売で、実業ではない虚業だと銀行からは相手にされなかった。一二を除いて人並の給金を出すところはなかった。第一原稿料だってろくに払ってないと私は風のたよりで知っていた。それでも昭和十三年二十余人のなかから一人採用されたのに、月給は三十五円と聞いたときはびっくりした。
編集長は別室でそれを言うとき、言いにくそうにしたから、ははあ何ぼ何でも安いのだな、この雑誌は今のぼり坂だというのにこれは恥ずかしい金額だから口ごもったのだなと思って私はむしろ同情した。
私はこれで衣食するつもりはないし、末ながくいる気もないから笑って承知したのである。それなら何で衣食するつもりだったのかと問われても困る。私はそれまで働いたことがなかった。いやないことはなかったが、それはうわの空で今でいうアルバイトのようなものだった。かせぐということがどういうことか身にしみて分っていなかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)
「戦前の出版社は電話と机だけで創業出来る商売で、実業ではない虚業だと銀行からは相手にされなかった。一二を除いて人並の給金を出すところはなかった。第一原稿料だってろくに払ってないと私は風のたよりで知っていた。それでも昭和十三年二十余人のなかから一人採用されたのに、月給は三十五円と聞いたときはびっくりした。
編集長は別室でそれを言うとき、言いにくそうにしたから、ははあ何ぼ何でも安いのだな、この雑誌は今のぼり坂だというのにこれは恥ずかしい金額だから口ごもったのだなと思って私はむしろ同情した。
私はこれで衣食するつもりはないし、末ながくいる気もないから笑って承知したのである。それなら何で衣食するつもりだったのかと問われても困る。私はそれまで働いたことがなかった。いやないことはなかったが、それはうわの空で今でいうアルバイトのようなものだった。かせぐということがどういうことか身にしみて分っていなかった。」
(山本夏彦著「『戦前』という時代」文藝春秋社刊 所収)