「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・07・18

2013-07-18 06:45:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」。

「 フリーで仕事をしていくための心の持ちようとして、どんなときでも自信を失わない

 ことだと言う人がいます。

  しかし、自信なんてものは、気球のように大きく上がったと思うと、次の瞬間にはシャ

 ボン玉のようにはじけ飛んでしまうものだということは、こんな仕事をしている人間なら、

 誰もが身に沁みて分かっていることです。

  たとえ海の底に沈んでも、人間の肉体には浮力があるのだから、また水面に浮かび上がる

 ことが出来る。そう思える楽天性が、浮き沈みの激しい仕事には必要不可欠なのです。

 そう言えば、海で漂流したときに、悲観的な考え方をする人間から先に死んでいくという

 話を聞いたことがあります。

 職業には関係なく、生きていくために一番必要なことは、楽天的であることかもしれません。」

 (鎌田敏夫著「来て!見て!感じて!」海竜社刊 所収)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・17

2013-07-17 06:55:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」。

  「人にけなされてダメになった人間はいないけど、人にほめられてダメになった人間は大勢いる。」

    (鎌田敏夫著「来て!見て!感じて!」海竜社刊 所収)


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・16

2013-07-16 07:25:00 | Weblog


 今日の「お気に入り」。

  「 タイタニックが沈むとき、女子供を先にボートに乗せなきゃならない。船長が、

   イギリス人のところに行って、こう言う。あなた方はジェントルマンだから、

   そうすべきだ。次に、アメリカ人のところへ行って言う。ヒーローになりたけ

   れば、女子供を先に乗せなさい。次に、ドイツ人のところに行って言う。ルール

   だから守りなさい。最後に、日本人のところへ行って言う。みんながそうしている

   のだから、そうしなさい。」

    (鎌田敏夫著「来て!見て!感じて!」海竜社刊 所収)

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・15

2013-07-15 07:20:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」。


  「 その日その日が楽しくなくて、どうして一生が楽しいんだよ 」


   ( 鎌田敏夫著「来て!見て!感じて!」海竜社刊 所収 )





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

子に楽をさせるな 2013・07・14

2013-07-14 08:00:00 | Weblog

 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

  「 美食は避けよ、人間をだらけさせてしまうような軟弱な幸福を避けよ。人間の運命を思い起させる

   ようなことが何一つ起らないなら、人はいつも酔生夢死の状態でぼうっとしたままです。つねに窓

   ガラスで隙間風から守られている人、両脚を何度でも取り替える温クッションで温められている人、

   食堂は、床も壁も循環式熱風で温められている人――こんな人はほんの軽い風の一吹きでも危険に

   陥ってしまうでしょう。

    限度を越えたものはすべて害がありますが、わけても特に危険なのは幸福の過剰です。それは脳を

   刺戟し、心を埒もない空想に誘い、正邪の境に濃い霧をひろげる。それならばいっそ、心の抵抗力

   の助けによって絶え間のない不幸に堪えた方が、限度を知らぬ幸福で張り裂けてしまうより、どん

   なにいいかしれないではありませんか? 満腹して腹がはじけて死ぬより、飢餓による死の方が楽

   です。
                                『神意について』4-9・10 」

   ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

パラドックス 2013・07・13

2013-07-13 07:40:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

  「 幸運は大衆にもつまらぬ人々にも下りますが、しかし不幸や死すべき者としての恐怖に打ち克つ

   のは、偉大な人物にしかできぬことです。つねに幸福であって、苦痛もなく人生を過してしまう

   のは、自然の他の面を知らぬということです。

  (略)

   同じ意味で僕は、もし徳ある人が、自分の心の力を示すべき困難な出来事に出会う機会が与えら

  れないでいたら、その人に向かって言うでしょう、『僕はあなたを不幸だと思う、一度も不幸な目

  に遭ったことがないからだ。あなたはこれまでずっと敵対者もなく人生を渡って来たから、あなた

  に何が出来るか、誰一人知らないでしょう。おそらくあなた自身でさえも』と。つまり自分自身を

  知るためにも、試練に遭うことが必要なのです。一人一人が何を出来るかは、試練を経ることによ

  って以外には知りようがないのです。
                                『神意について』4-1~3」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・12

2013-07-12 07:30:00 | Weblog


  今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

  「 ふつうの旅なら、よく整えられた道に従い、土地の者に聞けば迷うことはありません。が、この旅

   では事情が違って、最も好まれる、最も多くすすめられる道が、実は一番誤らせるのです。だから

   ここで何よりも注意しなければならぬのは、羊が群についてゆくように本能的に先行者の後ろにつ

   いてゆくことで、これではみなの行く道を行くことになり、本来辿るべき道を行くことになりませ

   ん。

    ところで、多数者の賛成したことを最善と見做して、大勢の意見に従いたがる我々の性向くらい、

   我々を大きな災厄に陥れるものはありません。これではただ数に従うだけで、人生を理性の判断に

   よって導くのではなく、模倣するだけだからです。

                              『幸福な人生について』1-2・3」

  「 最も害があるのは、ただ先行者に従って行くことです。というのは、誰にとっても、ある事柄に

   ついて自分で判断を下すよりも、何かを信用して受け入れる方がやさしいのですが、それでは決

   して自分で自分の人生を導くことにはならないからです。そうやっていつでも他人に頼りきって

   ゆくことで、過ちは手から手へ渡り、我々は愚弄され、奈落の底に突き落とされてしまう。他人

   に従って身を律すれば、破滅あるのみです!
                                『幸福な人生について』1-4」

  「 人間の問題に関しては、多数者の気に入る方が善ということにはなりません。むしろ大勢が集ま

   るということ自体、それが最悪のものだという証拠なのです。

                                『幸福な人生について』2-1」

   ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・11

2013-07-11 06:20:00 | Weblog
  今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 いかに多くの物が余計な物であるかに気づくのは、それらがなくなりだした時です。

  そのとき我々は、それが必要だからではなくて、それを持っていたがために使ってい

  たにすぎないことを知る。我々はなんと多くの物を、他人がそれをやっているという

  理由でやり、また他人がそれを所有しているという理由で所持していることか! 

  我々の不幸の最大の原因は、我々が他人の真似をして生き、理性によって身を処さな

  いで、世間の慣習に従ってしているところにあります。

   やっているのが少数の人間であるうちは真似しようと思わなかったことを、大勢の

  人間がやり始めるやいなや、すぐ自分もやりだす。まるで頻繁に行われればそれだけ、

  それがいいものになるかのように。そしてそれが一般的になるにつれ、正しさが占め

  ていた場所に過ちが取って代るのです。
                                『手紙』123-6」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2013・07・10

2013-07-10 07:40:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 あらゆる物の本来の目的に注意することです。そうすれば君は過剰なものは断念するで

  しょう。空腹が僕を呼べば、手はそこにある一番最初の食物を摑む。空腹が、何でも僕

  の摂る物の味をよくしてくれるのです。腹の空いた者はどんな物でもバカにしません。

                                  『手紙』119-4」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )






















コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

知足 2013・07・09

2013-07-09 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「『けれども、住は凍えなければよし、食は飢えなければよし、飲は渇えなければよしという

  のでは、あまりにも所有が少なすぎやしませんか?』と君は言うのか。いや、ジュピター神

  でもそれ以上は持っていなかった。足るを知る者には、少なすぎるということはない。足る

  を知らない者にとってだけ、いくらあっても十分ではないのです。」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )





コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする