「今日の小さなお気に入り」 - My favourite little things

古今の書物から、心に適う言葉、文章を読み拾い、手帳代わりに、このページに書き写す。出る本は多いが、再読したいものは少い。

2013・07・08

2013-07-08 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 ある種のものは、いくら前より量が増大しても本来のその性質と特性を変えない。が、別のある種の

  ものは、多くの増大を重ねたあとの最後の一つの追加が、全体に変化をひき起し、新しい、前のとはぜ

  んぜん違う性質をもたらすことがあります。例えばたった一つの要石が、両側に弓形に湾曲している翼

  のあいだに楔(くさび)としてさしこまれると、その挿入一つによって、丸天井のアーチ全体を支える。

  ほんの小さなものなのに、なぜこの最後の追加がかくも大きな効果を上げるのか? それは、足されて

  増えたのでなく、その石が全体を完成させたからです。
                                 『手紙』118-16」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )




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2013・07・07

2013-07-07 06:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 その人の生き方のように人はしゃべる。人の話し方を聞けば、生き方がわかる。
                                  『手紙』114-1」

 「 問題は、君が何を書くかであって、どう書くかではない。それも書くためにでなく、考えるために書け

  ということです。君が君の考えを自分独自のものにし、それに君の刻印を押せるように。誰の話し方であ

  れ、君がそれを神経質に磨かれ推敲されていると認めたら、その著者の心はつまらぬことで一杯なのだと

  思っていい。大きな人物は、何を言うにしろ、ゆったりと自信にあふれた話し方をします。彼が話すこと

  はすべて他人への配慮よりも、自己への信頼がひびいています。
                                『手紙』115-1・2」

   ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )




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一日と一世紀 2013・07・06

2013-07-06 07:20:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 どうしたら我々はこの不安(あと人生の残りの時間がどれだけあるかという不安)から逃れることが

 できるか? それはただ一つ、人生を未来に目標を置いて運んでゆくのでなく、ただいま自分自身に

 集中させることによってだ。未来に依存する者には、現在は無意味になってしまうからです。

  しかし、僕が自分自身に課したことが為し遂げられ、心が一日と一世紀のあいだに何の違いもない

 ことを確かに知るとき、たとえ将来何が起ろうとも心はそれを超越した高みから眺め、非常な上機嫌

 で時のつながりを考えることができるようになる。君がそのように強い自信をもって予測すべからざ

 るものに対するなら、偶然事の転変なぞによって不安になるわけがありますか? だから、わがルキ

 リウス君、急いで今の君の人生を生きるがいい、そしてどの一日もが自分の全人生であると思いなさ

 い。このような心構えで生きる者、毎日を全部自分の全人生としてとして使いこなす者は、あらゆる

 不安から自由です。
                               『手紙』101-9・10」

   (中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)


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2013・07・05

2013-07-05 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 決して、自分の幸運に依存しているような人間を、幸福だなどと思ってはならない。外から来た

  物事を喜んでいる人は、壊れやすい基礎に家を建てているようなものです。外からやって来た喜び

  は、来た時と同じくすぐに去ってしまう。これに反して、自分の内から湧いてきた喜びは、信頼で

  き、確かです。それは成長し、人生の終りまで我々に同行する。
                                   『手紙』98-1」

 「 運命が我々に善いものと悪いものを分ち与えるのだ、と考えるような人は、ルキリウス君、間違

  っているのだ。与えられたのは、善いもの悪いものの材料だけです。我々の責任において悪にも善

  にも転じてゆく物の、前提があるだけだ。だが、あらゆる運命のはからいより強いのは、人間の精

  神です。精神が物事を善悪いずれの方向へも導くのであって、精神こそ幸福な人生の、あるいは惨

  めな人生の原因なのです。
                                   『手紙』98-2」

   ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )


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2013・07・04

2013-07-04 07:30:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 いずれは去らねばならぬところを早く去ろうが遅く去ろうが、それがどうしたというのです? 

  長く生きることではなくて、我々が配慮しなければならぬのは、満足して生きることです。なぜ

  なら、長く生きるかどうかを定めるのは運命ですが、満足して生きることは当人の心掛け次第だ

  からです。充実して生きたのなら、その人生は十分に長い。しかし充実して生きたと言えるのは、

  心がその善き素質を十分に育て上げ、完全に自分自身を支配しきったときです。

   八十歳生きたところで、もし怠惰に過しただけなら、何になるでしょう? そんな人は生きた

  のではなく、人生に在ったにすぎません。遅く死んだのでなく、長く死んでいたのです。『あの

  方は八十年生きた』と言う。問題はいつから彼の死を数え始めるかです。
                                 『手紙』93-2・3」

 「 小さい体型の人こそ人間として完全でありうるように、期間の短いほど人生は完全でありうる。

  寿命というのはつまらぬ外的な事柄だ。僕の人生の長さは、僕には決められない。いのちあるあ

  いだ本当に生きることだけが、僕のやるべきことです。
                                   『手紙』93-7」

  ( 中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収 )


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2013・07・03

2013-07-03 08:00:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 君が見るあの深紅色の宮廷服をまとった廷臣たちの誰ひとりとして、幸福な者はいません。舞台での

  役柄から、王笏と王のマントを持たされている俳優たちと同じことです。観客の面前でこそ彼らは高靴

  を履いて闊歩していますが、舞台から引っ込むやいなや高靴を脱ぎ、自分の本来の姿に戻ります。富や

  名誉職のおかげで高い頂上に坐っているような連中の誰一人として、真に偉大な者はいません。なのに

  なぜ彼が大きく見えたのか? それは君が彼をその台座ごと計ったからです。
                                  『手紙』76-31」

 「 誠実は人間の心の最も破りがたい善です。いかなる強制状態も裏切りを強いることはできないし、い

  かなる恩賞も誠実な心を買収することができません。
                                  『手紙』88-29」

   (中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)






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2013・07・02

2013-07-02 07:50:00 | Weblog
 今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 君とまったく同じ不満を洩らした者に、ソクラテスはこう言ったものです。『外国旅行が何の役にも

 立たなかったと言って、なぜ君は驚くのかね? どこへでも君は同じ自分を引きずっていっているのに。

 君を遠くに追い出した同じ原因が、今も君を悩ましているんですよ』。
                                   『手紙』28-2」

 「 これに対し、君がこの君の悪を退治してしまえば、どんな場所の変化でも楽しくなるでしょう。世界

 の涯(はて)に追放されようが、野蛮国のどんな片隅に追いやられようが、そこでの住処(すみか)は――そ

 れがどんなところであれ――良きところとなるでしょう。重要なのは君が何者かということであり、ど

 こへ行ったかではなく、どういう者として生きて来たかなのです。だから我々はどんな場所にも自分の

 心を着けるべきではありません。どこでもこういう確信をもって生きねばなりません、『わたしはどこ

 か一つの片隅のために生れたのではない。わたしの故郷はこの全世界だ!』と。
                                   『手紙』28-4」

 「 探し求めらるべきは、日が経っても悪くならぬもの、いかなる妨害もありえぬものです。それは何か?

 心です。それも真直ぐで、善で、偉大な。それを君は、人間の肉体に宿った神という以外に何と名付

 けられますか? この心は、ローマの騎士にも、解放市民にも、奴隷にも、舞いおりることが可能です。

  なぜと言って、『ローマの騎士』とか、『解放市民』とか、『奴隷』とか、一体これは何ですか? 

 支配欲と不正から生れた名称以外の何ものでもないではありませんか。どんな片隅からでも天上へ舞い

 上がることが可能なのです。
                                  『手紙』31-11」


   (中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)






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2013・07・01

2013-07-01 09:00:00 | Weblog
今日の「お気に入り」は、中野孝次さん(1925-2004)の著書「ローマの哲人 セネカの言葉」より。

 「 何はさておき君にして欲しいのは、ルキリウス君、喜ぶことを学べ!です。
                                   『手紙』23-3」

 「 信じてほしい、真の喜びとはまじめなものなのです。          『手紙』23-4

  まじめなというのは、真に心の内から湧く喜びは、何にも奪われず妨げられず、貧困や死さえもそれを奪

 うことができぬほどのものだということだ。それに反し、肉体の喜びや、他から与えられた笑いなどは、死

 だとか貧困の影がさしたとたんに消えうせるほどはかない、根なし草の喜びにすぎない。それは鉱山にたと

 えれば、地表の浅いところにあるもので、真の喜びは地層深くに埋蔵されているとして、こう言う。」

 「 だから、ルキリウス君、それだけが人を幸福に為しうることだけを為せ。表面が輝いているもの、他人に

 よって与えられたもの、自分の権能外で約束されたものは、たたき壊し、踏み潰せ。真の善を見つめ、君だ

 けのものを喜べ。『君だけのもの』とは何かと聞くのですか? それは君自身、君の最良の部分です。

                                   『手紙』23-6」

 「 なぜと言って、不幸を先に呼びよせる必要がありますか。やって来たらすぐにも苦しまねばならぬものを

 先取りする必要が。未来に対する不安によって現在を台無しにする必要が。君がいつか不幸になるかもしれ

 ぬという理由で今から不幸になるのは、疑いもなくバカげたことです。

  しかし僕は別の道をとって君を心の平安に導こうと思う。君があらゆる心配事を取り除(の)けたいのなら、

 君がいま怖れていることはみな、いつかは起りうることだと思うのです。またその禍が何であれ、あらゆる

 側からよく観察して、君の恐怖を査定してみるのです。そうすれば君の恐怖の対象は、大したものでないか、

 長続きはしないものだということがわかるでしょう。
                                   『手紙』24-2」


  (中野孝次著「ローマの哲人 セネカの言葉」岩波書店刊 所収)


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