特殊な環境にいる子供たちの叫び
ただただ家族が安全でいて欲しいという叫び・・・・・
大事なことです。
Children are Children, Welcoming Refugees Campaña de Ad Council
特殊な環境にいる子供たちの叫び
ただただ家族が安全でいて欲しいという叫び・・・・・
大事なことです。
Children are Children, Welcoming Refugees Campaña de Ad Council
運動しているから&歩いているからと言っても、座ってばかりいると台無しになってしまうということですなぁ。
体験上、ボキもそう思います。
Why Sitting Too Much Can Kill You!
ゴールデンエイジとは、定年退職後の15年間をいうとボキは思うことにした。まったく大事にせなアカンですなぁ~~~!
隠居と定年―老いの民俗学的考察 (臨川選書) 単行本 – 2003/4という書籍を図書館から借りた。関沢まゆみ先生の著書である。最近のボキの興味ある分野であるからだ。
昨日、ボキのゴミ論文を訂正していた。図書館で。それでパソコン席にいた。
で、ボキの持参したバッグにその本があったのだ。あ、読むのを忘れていたと思った。やおらバッグから取り出してちょっと読むかとなった。
テーマがまさにボキの求めていたものである。
そしたら止められない。ゴミ論文訂正なんかどっかに行ってしまった。午前中いっぱいその本を読んでいた。
本の中に登場してくる倉田松三という大先輩の人生に震えるような思いがした。
最初は菊作りをした。
そしてリューマチになって、手指が動かなくなった。
郷土史の調査に入ってきた某大学の調査団に説明を求められて興味を持った。これなら、オレでもできるかもしれないと思った。
それで郷土史の執筆活動に入った。活躍が素晴らしい。
年齢を重ねてからは歌作りである。
自分史の本も書いた。
ううううううううううううううううううううむ。
これってボキの目指すべき方向性なのではないのか。
さらに、関沢先生のキーワードで検索をかけると果たして論文があった。それが以下のように書かれているのである。感謝して引用させていただく。
感動したねぇ。
日本の老いの文化一民俗学の視点から-
国立歴史民俗博物館
関沢まゆみ
>. 倉田松三氏の老後の生活の変遷
現在 100 歳のワンジョウ,倉田松三氏は,昭和 20(1945 )年に父親からヤクハリの権利を引き継ぎ,村に出るようになった.その後,昭和 42 (1967 )年62 歳の時に十人衆に入り,若役として世話役をつとめるようになった.当時は,現在ほど高齢者が多くなかったため,村を隠居するのよりも 3年早く十人衆入りをすることとなったのである.そして S45(1970 )年, 65 歳になって村を隠居し,息子にヤクハリの権利を引き継した.隠居後は,家の農業も息子が中心となったので,松三氏は大好きな菊作りに夢中になり,菊が好きな友人との交流の輸を広げて
いった.しかし, 70 歳代後半になるとリューマチを患い,手先が思うように動かなくなり,菊作りをあきらめねばならなくなった. 「もう何の楽しみもなしと思っていたときに,同じ水口町内の柚中に住む友人から,東京女子大学の学生の民俗調査実習報告書『甲賀柚中の民俗』 (1983 )を見せられ,「これなら,自分にも書ける」と思い,すぐに北内貴の村の歴史と民俗について原稿を書くことを始めた.こうして s 59 (1984 )年,松三氏 79 歳の時に『ふる里北内貴』( 1985 )を自費出版した.その本には, 「私も今は蕊に之(村の伝統的な行事の内容と由来など)を求められて,私も及ばずながら少しでも之にこたえることが出来得る様であればと思い之を取り上げ,此の村の上古より現在に至る歴史,民俗資料をさぐって見ました.(中略)文,我が村の五人衆,十人衆とは如何なるものか,如何なる事をしているかを皆さんによく認識して戴かんが為に之を取り上げて悲に其の一端を記しましたJ(『ふる里北内貴』より)と,執筆の動機が書カ通れており,村の歴史を若い人たちのために書いておきたいという松三氏の責任感がよくあらわれている.
そして,昭和 61 (1986 )年 81 歳の時に宮本利三郎氏の跡を継いでワンジョウとなった.それをきっかけに自分史『老松の花』 (1991) を自費出版した.その後は,「書くこともなくなったjと思っていたところ,また友人から歌を作ることをすすめられた.
「歌なら寝ていても作れる Jといわれ,青年時代に冠句会に応募したりしたこともあった松三氏は,五七五七七の歌を作つては短冊に書いてアルバムに貼ることをはじめた.このアルバムには「老いの道草」という題名で,菊のこと,亡くなった妻のこと,十人衆の宮詣のこと,友人が訪ねてきたこと,テレビのニュース,四季折々の自然の移ろい,等々について書かれている.これらの歌をみると,松三さんにとって歌作りは,誰かのために書くというのではなく,自分の世界を表現しておきたい,「私を書いておく jという自己表現の一つであることがわかる.そしてこの歌作りは 1 00 歳になった今も続けられているのである.
定年退職をしてからの15年というのは、ゴールデンエイジである。
本来、これはスポーツに使われる用語である。一生に一度訪れる運動神経をよくすることができる時期で、アスリートを目指すために大切な時期だという。
ボキは、それは一生に一度だけではなく、生涯訪れるのだと思っている。
何度も何度も変わることはできるのである。
健康も、身体も、むろん能力もである。
だから、ジジイになったからと言って閉じこもっているこたぁねぇのである。
やれることはいっぺぇあるのだ。
それに、そのやれることは義務ではない。自分のタノシミでやっているだけである。
それを倉田松三大先輩に教えていただいた。
ボキなんぞまだまだガキである。この大先輩、100歳を超えても歌をやっておられたではないか。
そういう方から見たら、ボキなんぞ小僧っ子である。
なんだか生きるチカラが満ち満ちてきたぜ!
わはははっはははははっはははははっははははっはは
ヾ(@⌒―⌒@)ノ
不安との闘い・・・あまりないですなぁ。「世の中こんなもんじゃないの?」と思ってきたから。 goo.gl/cN1DsB
— Waishan Richunan (@tym943) 2018年5月6日 - 07:13
デヴィ夫人&出川哲朗の奇妙な“相思相愛” 水と油ながらも互いにリスペクトする関係に a.msn.com/01/ja-jp/AAwNH…
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— Waishan Richunan (@tym943) 2018年5月6日 - 21:18
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