ボキのハゲアタマのように、やさしくて明るいジジイになりたいもんである。孫のためにも。もうなっているか(^0^)
居住地で受講している中国語講座に昨夜行っていた。
今年の新入会者はかなりのレベルで、(*_*) マイッタ。ボキなんかとてもじゃないがついて行けない。なにしろ、前回やった単語も全部忘れているからだ。
ああああああああああああああああああああ!
でもめげない。優秀な新入会者だったら刺激になる。それに、時々飲み会もやっているから知り合いになれる。ほとんどそれが目的のような気もする。だって、中国にはあまり行けないからである。家人は、中国はもっと年をとってから行くと普段から言っているからだ。近いからである。エコノミー席で行けるからだ。
違った人生があって良いのである。それを教えていだくことが素敵である。素敵な人生がそれぞれにある。
こっちも楽しくなってくる。
光明を知ることができるからである。
思うに、ボキは「やさしさと明るさ」をモットーにして生きてきた。実際、それだけの実績は無いんだけど。あくまでモット-である。そういう人格になりたいと努力だけはしてきた。だから「耐える」のである。いろいろとトラブルがボキだってあった。そのトラブルに耐えてきた。それで今のボキがある。
基本的にそういうのを持っていれば、手段や方法はどうでも良い。そういうのを教えてもらっても、基本がなっていないとダメである。つまり人間観というやつである。
仕事人間として優秀な方は、そういう基本ができているような気がする。
決して「イバラナイ」し、そういう方は周囲に「ナメラレナイ」のである。だから次から次へとオファーがくる。注文もとれる。営業マンなら大成功する。出世も間違いない。
人間関係でのトラブルも無くなってしまう。思うに、社会人としての期間というのは、そういう基本的人間観が確立している人だけが成功するのではないのか。
教育に限ってみてもそう思う。教育は、手段・方法ではない。コツを教えてもらっても、実際に相手が生徒なら通用しない部分もある。やはり基本的な人間観が教えている方に確立していないと救えるものも救えない。教育は、まさに教壇から一方的に教えているだけではないからである。ま、このことはこれくらいにする。書いちゃいけない部分に触れそうだから(^0^)。
ブスッとして、目が三角になって、クチをへの字に曲げて対話をしてはならない。そりゃぁ、相手への威嚇である。おどかしていたって、ナンになるんだろう。かえって相手は萎縮してしまうだけである。
ボキはそういう意味では他人のことは言えない。柔道をやったから、声が良く無い。威嚇しているのじゃよん。いわゆるドスのきいた怒声なんだ。(_ _ )/ハンセイ。
だからこんなことを打鍵しているのだ。
「やさしくて明るい」
そういうジジイでありたい。
孫を抱っこしながらシミジミそう思うのだ。孫だって、おっかないジジイでは嫌いになっちまうではないか。ましてや、七ヶ月になった初めての女児(孫)には嫌われたくない。
彼女が中学に入ってもまだ生きていたいしねぇ。入学祝いをあげたいから。
わはっはははっはははっはははっはははっはははっは。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ