もうひとつの大谷探検隊「多田等観のチベット」
自己否定というか、現役で仕事していた時代を全否定したいなぁと思った。したがって、元****とか言われたくないということになる。言われたら否定していたが、それもやめよう。みっともない。
ろくなもんじゃなかったからだ。悪行三昧。およそ、人格高邁とはとても言えない生き方をしてしまった。取り返しがつかないではないか。ボキの人生返してよんと自分に言いたくなっちまうではないか。責任を他人に負わせるつもりはないけど、とてもじゃないが自賛するわけにはいかない。罪人である。
昨日も図書館でノート取りをしていた。図解をしながらB5の100枚ノートを使っている。これに図解をしているのである。中国仏教史の概説書を見ながらやっていた。破綻しているからである。ボキのアタマが。過去から未来まで破綻している。情けない。
まそれはそれでやるしかないから、やっているけど。
で、休憩中に図書館内から多田等観という人の伝記を持ってきて、ふと斜め読みしていた。そしたらはまってしまった。面白い、面白い。薄かったから全部読んでしまった。ウキセンセの解説によると以下のとおり。
>明治末から大正にかけてチベットに入り、チベット仏教を修行。日本への帰国に際して多数の仏典、文献を持ち帰り、斯界の学識経験者として活躍した。
1911年(明治44年)に中国で辛亥革命が勃発。ダライ・ラマ13世は留学生に一時帰国するように暗号文で連絡を寄せる。等観はすでに彼と親密であった留学生に請われて彼らのインド行きに同行することになる。そしてインドにてダライ・ラマ13世に謁見。その場でトゥプテン・ゲンツェンという名前を授かり、ラサにくるようにと要請を受ける。1年のインド滞在の後、等観はイギリス官憲の監視の目を逃れるため変装してインドを出発。ヒマラヤ山脈を越える過酷な道程を、高山病に苦しみながらもほぼ裸足で走破し、1ヶ月でラサに到着する。
このあたりが実にサスペンス小説でも読んでいるようでタノシカッタ。チベットに入ってからのことは、絶対にボキのようなアホにはできない修行ぶりである。で、逆にボキはどうすれば良いのだということである。
ジジイである。これからはおとなしく生きていくつもりだが、夢はある。ふうううううううううううううううううううううむ。なにか得たものがあるかもしれないということである。
以上!