大学院2年次になっている。一度、この大学院は修了しているので、やり方はわかっているのだが、なんとも先月から意欲が出ない。こりゃアカン。修士論文も書かなきゃならんし、大変なことにクビを突っ込んだもんだよん。
それよりなにより仏教学という専攻だから、これまた大変だ。もっとも、この分野は高校の時からのあこがれの分野である。要するに好きなんだ。美人をみているよりも好きな分野であるから。
で、資料を読み黄色のマーカーでチェックして、重要語にはピンクのマーカーでチェックしているのだが、なんとも理解がついていけない。これはタブンに信心がついていっていないからだとふと思った。アタマで理解していこうとしているからだ。
それよりなにより、いかにオノレがダメな人間であるかという諦念がない。どっかにうぬぼれがある。これが支障となっているのだ。
にこやかに、過ごしていきたいものである。さっき、資料集にも書いてあった。法蔵菩薩のことである。やわらかに、生きていきたいものである。
そりゃ、人生いろいろあらーな。古希まで生きてきたんだ。いろいろあってあたりめぇであったからだ。決して自慢できるような半生を送ってきたわけではないからだよん。
子育ても成功したとは決して言えないし、ゼニもないし、かすかすで暮らしているだけである。ただし、人生を終わりの方から眺めているのは確かだが。
健康にも執着していない。学問的な実績もまったくなかったし、これからもナイだろう。誰にも相手にされていないし、第一居住地ではまったくの無名である。ボキごときが、しゃかりきになっていたら、法蔵菩薩に笑われてしまうですぜ。
明日は、明日の風が吹く。
タノシンデ生きてまいりましょう。
BYE-BYE!