居住地の文化会館で、高名なる柳田邦男先生の講演があった。「生き直す力」を探る。―悲しみこそ真の人生のはじまりーという講演のタイトルであった。居住地のターミナルケアを考えるグループ「生と死を考える102」の主催であった。テレビドラマにもなった「病院で死ぬということ」の医師山崎章郎先生のグループでもある。山崎先生は、医師として居住地近くの病院に7年間勤務されていたのだ。
このグループには、死生学が基本にある。非常に関心があったので、電話をしたり、いろいろとアタックしていた。なぜなら、修士の時にこの科目で、厳しく鍛えられたからである。柳田先生ご自身への関心もむろんあった。レポートに柳田先生のことはかなり引用もさせていただいたし。内容にもむろん感心した。
このような機会をいただいたことに感謝もした。こういう機会が向こうからやってくるのだ。確か、肉屋さんの店先にポスターで出ていたからであった。そこに連絡先が書いてあって、即、電話をしたのである。携帯からである。これでご縁ができたのである。
非常に高度なご講演であった。メモもカードで21枚。びっしり書いてある。内容の紹介はここではできないので、印象に残ったのは「生き直しのために」「自分の人生の物語を見つめよう」というようなお話に納得した。
確かに、柳田先生の言われるように、我々は「物語」を生きている。個々それぞれの。物語というのは、自分が、自分で作り上げていくものである。しかもそれは、「贈与性」を持っている。多くの他者へ。むろん自分自身へも大いなるプレゼントでもあるけれども。
さらに、「生き直す」ためには、「書くこと」だともおっしゃった。死にそうになったときに、あるいは大病をしたときに、あるいは天災に遭遇したときに、精神の安定を保つためにも「書くこと」であると言われたのである。むろん2時間の講演の中で他にも多くのことを言われたのであるが、愚生にはここのところが一番非常にインパクトがあった。
人は物語を生きている。物語らないとわからないものもたくさんある。自分自身を物語の中でとらえる。というようなことも柳田先生は言われた。このことはフォークロアとも関連してくる。庶民の言い伝えてきた伝説もまた、物語そのものではないか。それらに関心をもって、いろいろと考えることも愚生にとっては楽しい試みであるからである。
そのためには、言葉の力を磨かなくてはならない。むうううううう。それが一番の難物である。
しかし、一点救済があった。それは、もし終末期に病になったら、闘病記を書きなさいということであった。それならオレにもできる。ま、病気になるかどうかは、天のご意志のままであるが。
以上である。