生涯学習をやっていると、勉強が作業になってしまっていることに気がつくことがある。愕然となる。つまり、あまりにも日常的になりすぎて、連続した日々のあるひとこまでしかなくなってしまう。草取りと一緒で、単なる作業化してしまう。これは危険である。
A4で200枚書くことを目標にする、したいと思ったが、それこそ危ないということに気がついた。量では無い。質である。そこのところを誤解している。危ない、危ない。
今日、お世話になっている大学教授と四方山のお話をさせていただいていた。講師をさせていただいているほうの大学である。尊敬している先生なので、研究室を訪問させていただくことをなによりの楽しみにしているのだ。
共著で、論文も今年出させていただいたので、なおさらである。道徳教育で書かせていただいた。
愚生は、こっちでも、20代の時に、ある出版社から教育書に書かせていただいたことがあって、記念誌的な分野でもあるのだが。
いや、そんなことではない。尊敬しているその教授から思ってもみなかった台詞が出てきたからである。「と~ま君、巷の先生方は、あーたが大学教授のイスを狙って、虎視眈々としていると噂しているよん」と言われたのである。
こりゃぁハラが立った。先生にではない。巷の噂を広めている御仁たちにである。バカでもあるめぇし。何をいまさら。大学の先生にも定年があるのを知らないのだろうかね。オレは、もうすぐ62歳である。血迷ってはいけない。そもそも、ナニカになるために学問するっていうのは、嫌いなのだ。オレは。だったら、文学なんかやりゃしない。こんなカネにならない学問はないからである。
学位がとれなかったら、以前から言っているように自費出版して、オレの記念誌にするだけだ。郷土史的な要素も強いから、10冊くらいは売れるかもしれないが。そんな程度なんである。そんな程度。
ま、あまりカッカしても実につまらない。それにしても、生涯学習というのも、舐められたものだなぁ。そんなに、じじいになっても勉強していることが、結局、打算のために、さらにさらにステップアップするために努力しているというように理解されていたのだ。情け無い。実にばかばかしい。他人は、そういう感覚しか持っていないっていうことにである。
なんで退職してまで、国立能楽堂に行って、能を鑑賞してくるのか。わかっちゃいねぇなぁ。好きだからである。その一点に関わっているだけだ。それが悪いのかね?
そりゃ、じじいの道楽かもしれない。でも、それがなんで悪いのだ? ま、こりゃじじいになっても18歳の女性に恋をしたゲーテのような変人もいるから、あまり声高には言えないけど。わははははは。でもあれですか?恋というモノが心の働きであるとするなら、年齢は関係ないってことなのかね。ゲーテせんせ?(^0^)
どうでもいいようなことである。
まったく。
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