なんのホンであったかもう忘れたけれど、生涯学習ばやりで、大学人の方が「社会人のモラトリアムにつきあわされるのはかなわない」ということを書いておられた方があった。どこの大学であったかは、忘れたことにする。(じゃぁ、知っているんじゃんかねぇ・・・・・・・)
一面の真理をついているとは思う。
現状に不満があるから、大学に舞い戻って、大学院とかなんとかで勉強をしているんだろうっていう立場である。あるいは、大学の生き残り戦略をかけてそういうことにも手を伸ばしているという悪口をも聞いたこともある。
しかしである。純粋に学問的興味を持って、勉強だけをしてみたいという社会人学生にはどう回答されるのだろうか。来るな、中退せよというのでは、教育人失格である。人格向上のために学問をせよと言っておいて、鎧の下には、間違った思い上がりと、ご自分よりは能力の劣る学生への蔑視がある。そういうのを見透かされたら、大学そのものが経営破綻をすると思う。長いこと学校経営に携わってきて、そう感じるのである。大学ばかりではない。小中高全部にあてはまると思うのである。
愚生は完全にモラトリアムではない。だって、職業人としては終わっているのである。それをず~っといろいろな方に申し上げているのだ。ご理解いただけないようで、なんだか残念である。最近では説明するのも面倒くさいから「子守」ならぬ「孫守」をやっているぜと言うことにしている。いちいち愚生が何をやっていようと、なんだっていいじゃぁないかね。(^0^)/ウフフである。
それでも聞かれることがある。
それで最近、あっと思ったのである。そうやって聞く方は、モラトリアムを模索しているのだと。なるほど。それならわかる。当然である。ノウハウとか,愚生のように通信教育ばかりやってきたモノに聞いてみたいということである。それならオオイニ協力させていただきましょうと思っている。
こんな愚生のようなモノでも、それでお役にたつのなら。
(^-^)/