立川談志はマジメである。そういうマジメな部分がなければ、成功はしない。今年一番の収穫はそれであった。
立川談志の落語にはまっている。楽しい。実に楽しい。毎晩KindleにダウンロードしたMP4で聞いている。枕元である。すやすやと眠ることができる。
なにが楽しいのか。
それは言葉が実に考えられているからである。あの抜群の記憶力とハギレの良い江戸弁。
性格的にはいろいろとマスコミに叩かれるような傾向もあったんだろうが、それは許容範囲である。
なぜか。
立川談志の言葉は、具体的なイメージが見えるからである。考え抜かれている。どうやって鍛えてきたのだろうかと思っていた。
ある時youtubeでちょっと垣間見た。立川談志の弟子が、カードのようになっているメモを持ってきた。なるほどと思った。ネタ帳みたいになっていると自分で言っていた。これじゃ、これなんだと思った。
普段から工夫しているから一流になったのだろう。そう思った。
それに興味関心が幅広い。映画も専門家みたいに詳しい。むろん落語の背景となっている江戸時代の歴史、とりわけ庶民の暮らしにも詳しい。
蔵書が半端ないくらいにあったそうだ。
自宅が20部屋くらいあった。その中に、テーマ毎の書籍の部屋があったそうだ。自分で言ったのであるから間違いない。
それに生活ぶりが庶民的だ。
銭湯をこよなく愛した。まさに江戸の庶民をそのままいっている。ボキは、銭湯のない土地で暮らしているから銭湯にスーパーがついている所に行くけど。スーパー銭湯という場所である。
クルマも興味なし。高級高価なものにはもっと興味なし。
買えば買えたのであろうが。
この辺りが、ボキなんかとは違っている。ボキは高級高価なものは買えないし、興味もない。だいいち、カネがないからなぁ。
談志は、古いことをよく知っていた子供だったそうである。そりゃそうだろう。記憶力が良いからである。でないと、あれだけのネタを記憶して落語で喰っていくことはできないだろう。
うらやましい限りである。
女性に告白したこともなかったという。告白されたこともないそうだ。つまり、ボキと一緒だ(^_^)。
基本的にはマジメだったのだ。
こういうマジメさが生涯学習ごっこには必要なのだ。
ボキに一番欠けているところである。もう遅いけど。今さらである。今さら取り返しのつかないことである。
でもねぇ、ダンダンとマジメジジイになってきた。退職してから、実によく勉強しているのじゃ。
なにしろ仕事の勉強をする必要が無い。自分の好きな分野の書籍を買ったり、借りたりして喜んでいるだけである。こんな生活は天国である。
もっともボキのアタマも天国状態になってきちゃったけどねぇ(^_^)。
ヾ(@⌒―⌒@)ノ