若い人の就職の邪魔をしてはいかんぞな
日経朝刊「足りぬ若手のポスト 」→「東大の准教授が「成果は関係ない。雇用は打ち切る」と通達される。「成果を出せば任期なしポストにつけると思っていた」と准教授は振り返る。しか し、東大側の反応は芳しくなかった。若手研究者の苦しみは学生にも伝わる。優秀な学生の博士離れが進んでいる」
↑ 凄い話ですなぁ。ホントなんでしょうけれど。タブン。
この書き込みを見て、思った。やっぱりオレは、若い人の就職の邪魔をしてはいかんぞなってことを。あちこちで言っているんだが、どうも信用していただけないようで、とーまは腹黒い人間だと思われているみたいだし。あくまで、「表現」する喜びのために論文書きにチャレンジしているだけで、成果とか実績とか関係の無い世界で棲息しているつもりなんだが、なかなか。わかっていただけないようで。
そもそも、大学院というのは、就職するために行くのであろうかという疑問もある。学ぶために行って悪いのかね。ステップアップとか、なんとかって、それでいいのかね。
評価は他人がするものであって、学位がとれなきゃとれないで、それは仕方のないこと。後は、去るしかないではないか。そもそもそれだけの能力しかなかったのだから。
故に、オイラは全く焦らない。大学の先生方に自分だけ面倒みてもらおうとか、そういうすけべぇ根性はいっさいないのだ。ある意味、女性にまったく相手にされないモテナイオトコの心境と一緒である。だから逆に面白いのだ。観察ができるからである。人間観察ほど面白いものはないからである。いちゃいちゃしている若いのを見ていると、なにが面白くて・・・と思ってしまう。こんなじじいもバカですけれどもねぇ。(^0^)
恋愛関係にある男女の人間観察も面白い。電車によくいるじゃぁないですか。人の目を全く気にしないで、いちゃいちゃしているのが。最近はこーこーせーにもいるから、現場の先生方のご苦労は半端ではないのだろうなぁと同情してしまいますよん。
恋愛というのは丁々発止で、闘いもあるのだそうだ。経験無いから(^0^)
近代文学なんていうのは、そんなシーンがいくらでもあって、じじいのオレは辟易してしまって、読む気もしなくなってしまった。今、机の上に村上春樹の小説が4冊もあるが、数ヶ月前からまったく進まない。読めないのだ。これじゃぁいかんと思うが、恋愛の場面になると、ダメである。ウップとなってしまうのだ。安保の闘争世代を過ごしてきた、言わば同世代の学生生活なんか書かれるとハラが立ってくるのだ。いい気なもんだという反発が根底にあるから。オレは苦学生であったし、みっともない顔をしているし、反逆児であったし、青チョロイくだらねぇ学生の苦悩なんて書かれても、そうなのぉ~~~って言っているしかないのである。
わはははなのだ。
笑っているしかないのだ。
もっとも、毎日毎日自分自身を笑って過ごしているけどね。
どっかでずっこけて、こんなになっちまったんで。
今日からは、20日締め切りの学会への原稿を仕上げる。そう、大部分できているので。こちらは、口演で出場することが確定しているから、これもまた真剣にやるしかない。評価のためではない。自分の「表現」のためにである。
(^_-)-☆