昨日は、鶴甁の家族に乾杯を見て、すぐ寝ちまったので、3:47起きました。日本民族文化大系をPDFにしています。スキャンしながら、FB三昧です(^0^)。
どう見られているかというのではない。あくまで主体は演者としてのオレにある。結果はどうでもいい。あるいは、ウケねらいの漫才師でもない。むろん、女優の如き心境でも無い。自己陶酔と云われるのかもしれ... goo.gl/YTZkJr
不快だと思われればなんでもセクハラ、というのは微妙に違うらしい。やはりある種社会通念に照らして判定されるもののようだ。「同じ立場の多くの人にとってその行為は一般に不快か」という判断が入るのだとか。
ふふううう、疲れた。給料をいただいているほうの大学から、明日まで提出せよというギョウーム命令があって、18:48、メールで送った。まにあったなぁ。これからヨルバイトなので。(^0^)
久しぶりに仕事したような錯覚に陥っているっすね。A4で6枚も、よくまぁできたよん。全部アタマの中にはいっているから、書けたんだなと思った。専門外のことだからできた?(>_<)ゞ
しかし、今日は学生をさせてもらっている大学で、のんびりPDFから資料を作っていたのだよん。そしたら滅多にかかってこない携帯に着信。参ったね。仕事の話ばかり。たまにかかってくると。
携帯って、男性からの着信を禁止できないのかね?仕事の話ばかりだから。あ、それだと女性からはゼッタイにかかってこないから、オレの携帯はゴミ箱行きだな。わははははははは
さ、早い夕食をいただいたので、塾に行ってきまぁ~す。明日は、大学には行かない。中国語講座の最終日だから。予習していっても、まったく歯がたたないのでしゅ。アタマ悪いなぁ。まったく。
23:35です。サービス残業をしてきた。だって、高校3年の男子生徒が、帰してくれないもんで(^0^)。さすがに、作家志望だけあって、読んでる、読んでる。文学を。楽しいねぇ。こういう若者は。
文学部志望というだけで、オイラは、うれしくなっちまう。楽しいですなぁ。漱石の自己本位について、太宰文学の分析について特に富岳百景をどう読み解くか?なんて聞いてくんだよん。
刺青お断りと言われたら、その筋の人は意地でも入るだろう。第一あれは彫り物であって刺青ではないし。九州某市の繁華街を歩いていると、バーにこんな貼り紙が。任侠道に携わる方のご入店、ヒラにお許しください。上手いと思わず声が出た。これで入ったら名折れだし、言い回しの妙に感動すらしたっけ。
人を有益に嗜め、その人に間違っていることを示すには、彼がその物事をどの方面から眺めているかに注意せよ。なぜなら、それは通常、その方面からは真なのであるから。そしてそれが真であることを彼に認める代わりに、それがそこからは誤っている他の方面を見せてやるのだ。彼はそれで満足する。§9
もし、人より素晴らしい世界を見よう、そこにある宝にめぐり逢おうとするなら、どうしたって危険な道、恐い道を歩かねばなりません。そういう道を求めて歩くのが、才能に賭ける人の心構えなのです。
(株)ミヤスズ/自己破産へ | JC-NET(ジェイシーネット) n-seikei.jp/2013/09/post-1… ; カスミの影響はでかかったと思う、タイヨーがとどめを刺したんだろうな、イオンもか。いずれにせよ外部要因というより内部だろうな。時代について行けなかった。
ある歌い手が「命を削る」という心がけを書いた。宮沢賢治「セロ弾きのゴーシュ」では、カッコウは、まさに命がけで鳴くのである。「それから恨(うら)めしそうにゴーシュを見て 「なぜやめたんですか。ぼくらならどんな意気地ないやつでものどから血が出るまでは叫ぶんですよ。」と云いました。」
多くの場合、私の思考は言葉に結びつかないので、もやもやしたままだ。それは曖昧でおかしな形を描いて、呑み込まれていく。そしてたちまち私はそれを忘れてしまう。『嘔吐』