と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

フーテンの寅さんをなぜ排除するのか 

2013年02月11日 10時10分17秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 映画の「男はつらいよ」を見るのが大好きであった。特に葛飾柴又は、新聞配達で学校に行っていた時期もあったから、愚生の配達区域の隣であったので、非常に好きな地域であった。ここでフーテンの寅さんの映画のロケがあったのかもしれないと思うと胸がときめいたものである。確かに、人情味のあるいい土地柄である。しかも、愚生のような働きながらやっとこすっとこ学校に行っているような人間にあたたかい励ましの言葉をかけてくださった。今でも感謝している。

 しかし、排除という観点から見ると、フーテンの寅さんこと寅次郎は異端の人であったろう。特に服装がそうである。さらに今でも腑に落ちないのが、なぜ女性を口説こうとしないのかということである。いつでも、彼氏は女性に思いを寄せ、そして自分から去っていく。ふがいない。ファンとしては、寅さんにぇぇぃ!何をやっちょるんじゃ!と気合いを入れたくなったことが幾度もある。ま、こりゃ物語であるから、映画を見ながら怒りを爆発させるなんてことは無かったけれども。

 理想が高いからかなぁとも思ったことがある。あるいは、積極性に欠けるからかなぁとも。物語であるから、そんなことはどうでもいいではないかと言われるかもしれない。まさしくどうでもいいことだらけだけど、熱烈なファンとしては心配で心配で眠れなかったからである。ははははははは。

 オイラも寅さんみたいになっちまうのかもという不安もあったからだ。その時はその時でしょうもないかとも思っていたが。

 否、問題はそんなことではない。「排除」である。

 先に柴又は人情味のあるいい土地柄であると書いた。確かにそうである。なんの文句もない。しかしである。フーテンの寅さんは、異端の人である。だからこそ、愚生も含めた庶民階級というものの冷酷さがはっきりとわかるのである。つまり、寅さんは受け入れられないということなのである。まともな仕事をしていないからということだけで、庶民の許容範囲を逸脱しているというわけである。映画では、寅さんが帰ってくるときに、必ずあの団子屋の店先で店の中に入って行こうとする寅さんが躊躇している場面から入る。そして、裏の工場の社長あたりが、今頃はどこでどうしているかなぁとか、たいていは寅さんの悪口から展開されていく。そして、それを怒った寅さんが怒鳴り込んでいく。愚生のような庶民はそこでまず大笑いをしてしまう。

 なぜか。自分の異端を知らない寅さんを笑うことによって、今度はつらい生き方をしている自分自身を救済しているからである。

 こういうのを「哄笑」という。漫才もそうである。つっこみとボケを設定して、哄笑を展開しているのが漫才である。このことは、「狂言」でもそうである。哄笑の相手を思い切り笑うことによって、排除を成し遂げている。その点で同じである。しかも、双方とも愚生のような庶民階級の好むところでもある。

 人は排除をすることによって、自己満足をしているのだと思う。AかBかという選択を迫られた場合、排除をすることでどちらかを選んでいる場合もあるからである。全部が全部そうだとは言わないが。

 ここまで書いてきて、このような問題には「差別」という意識が巧妙に隠されているということを最も言いたいのであるが、排除の視点から考えていくと、理解可能なような気がするのである。

  民俗学はある意味、排除と差別の問題を直接扱う。だから意味のある試みになっていくのではないかと愚生は思っている。なぜ、人は、差別をしたがるのか。それはいけないと理屈ではわかっていても、やってしまうのか。「排除」という無意識の世界があるからであると愚生は思ってきた。

  死ぬまで愚生はこの問題を追及していきたいと思っている。階級なんて固定化されたものではないからである。血筋とか、家柄とか自慢できるのは、天皇陛下以外だれもいないではないかと、いつもながらのシニカルな目で、差別の加害者たちをせせら笑っているからである。

  貴種の末裔であることを自慢している僻村のことを、民俗学で知ってから特に愚生はこのことに興味を持ってきたのだった。貴族の末裔であることを自慢している常民の存在は、我々に意識改革を迫る。どうせ皆平等であるはずなのに、なぜ先祖自慢なんかしてしまうのか。たいした先祖でもないのに、とちょっと歴史を勉強したらわかりそうなものであるのにもかかわらずである。

  能楽や狂言の源流を知ることとつながっているのである。常民たちの排除されたる歴史がそこには横たわっているからである。雅だから能楽はいい、なんて簡単に言わないでくれと愚かなる愚生は叫びたいくらいであるから。

 

 

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