若いときより反省力が増してきている
若い時は、他人に何か言われると、「何を!」とか「このやろう!」とか、今の若者がよく言う「キレル」状態になって、反論ばかりしていたものだった。それが、一人前になるということだと思っていた。言い争いに負けないってことがである。
さらに、オイラの貧乏も国家のシステムが悪い、カラスがカーカーと鳴いていても国が悪いと本当に思っていたのだ。なんでもかんでも、他者が悪いのである。どうも、これは七〇年安保騒動を経験した、ちょっと愚生より上の世代から愚生の年代にかけて多いような気がする。(おめぇだけだろうと反論されそうだが)また仲間内の人間と話しをしていても、論理の展開を分析しながら聞いているんだから始末に負えない。愚生は、愚生のような人間とは友達になりたくない。(^0^)
だっていちいちけちをつけられていたんじゃ、話しにならない。最近では2チャンネルの炎上っていうのがおもしろい。めちゃくちゃなことを書いて、感情的になっている。もうよしたらと申し上げたくなるから、不思議だ。若いときのオレと一緒ではないかと思うからである。
じじぃになると、もっと不思議だ。「他人の悪口を言う前に、自分の悪口を言う」スタイルになってきたからである。まずは、最初に自己嫌悪に陥る。そしたら、他人の欠点がわからない。黙ってニコニコしていれば、安全である。わはははである。
酒を飲む時もそうである。もっともこっちの機会は、ぐっと減ったが。最初に酔っ払った時を想像するのである。そうすると自己嫌悪に陥る。だから基地外のようには呑まない。不思議な論理展開である。
自己嫌悪って、あんまりいいことではないと書かれることが多いが、そんなことばかりでもない。有名なイエスの話にあるではないか。娼婦を石打ちの刑に処する時に、イエスがなんと言ったか。この中で、悪いことをしたことが無いと言う者のみ・・・・とイエスが言ったら、誰も石を持って娼婦を追い払うことができなかったという話しである。愚生はこの話しが好きだ。
愚生も同様である。原罪を背負っているではないか。他人のことをどうやこうや言えんではないか。言ったらおしめぇである。そう思っているからである。
このことは、配偶者に対してもそうである。最初に反省ありきである。それから、感謝の言葉をもって、接することである。相手は少々気味悪く思うだろうが、なに、かまやしない。
職場の上司の悪口を言っておだを上げている暇があったら、生涯学習でもしていたほうがよい。他者のことなんか、あまり関心をもたれないほうがいい。退職したら終わりになっちまう人間関係なんか、なんの意味も無いからである。もっと真実のつきあいができることの方が、愚生は大事だと思うのだが。
違いますかな?
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