孫を背負子に背負って、山へ芝刈りに行き、キノコのひとつでも採ってきて、里の家から持ってきた握り飯でも食いながら、夕陽を眺めていたいねぇ。
「おおおおお」
とか
「むむむぅ」とか言いながら。
そして、孫にタヌキの騙され馬鹿話とか、狐の嫁入りとか、向こうの山側からピカピカ反射してくる光を山の神さんが、いたずらしちょる
!なんて言いながら過ごしたいもんじゃのぉ。そうやって夜は、オレの懐に入れながら、抱っこして、トントンと軽く叩きながら、子守唄をうたってあげたい。
そして、孫も大きくなって、オレから離れて行ったら、山のてっぺんに立って、へたくそな謡でもうなって一人過ごしたいもんだ。そういえば、オレのオヤジ殿も、おじたちも、おばたちもみんな謡ができたっけ。そういう環境に育ったのに、全部忘れている。残念だよ。なんでできたのかねぇ。民俗学的には、おもしろい材料なんだけど、オレの専門とは違うからやらないけど。それでも、面白いですわなぁ。
来月、またまた性懲りもなく、孫のところに行くのだ。新米を持って。どうやら、母親(オレの古女房殿)というのは、娘のことがいつまでもかわいくてならんらしい。不憫と思っているのかな?そんなことはないだろうに。娘は娘でたくましく生きているっちゅうのにねぇ。甘いねぇ。まったく。
オレ?
もう娘のことは眼中にない。目の中にいるのは、孫のかわゆい顔ばかり。だって痛くないんだものねぇ。キーホルダーに写真までくっつけているんだから。
馬鹿じじぃでござりまするよ。