松島と比較されるほどの象潟の風景であったが、
大地震で隆起した海岸が、芭蕉の時とは違っている。
この句もまた、死を見つめて旅した芭蕉の覚悟が
伝わってくる。
恨みを感じる象潟の九十九島ということをなにかで
読んだが、まさにぴたりである。
哀しみを持った句である。
松尾芭蕉が奥の細道最北の地として象潟を訪れたのは1689年8月1日、今から300年以上も前のことです。
芭蕉は雨にうたれるネムの花に、中国の悲劇の美女西施を思い浮かべ、
「象潟や雨に西施がねぶの花」
(きさかたや あめにせいしが ねぶのはな)
と詠んでいます 。