レーニンの哲学ノート(岩波文庫)を捜していたら、あっという間に真夜中になっちまった。話にならんなぁ。書庫が狭いので、時々処分していたからその時に捨ててしまったのかもしれない。なにしろ、無類の掃除好きな配偶者に恵まれて、アタシャ整理整頓が大好きになっちまったから。(^0^)
その代わりに、修士論文を書いていたときのB5ブ厚いノートを何冊も発見して読んでいた。懐かしいねぇ。しかもオレは60歳で修士をとったから、若い時の修士とは違っている。テーマが一貫しているんだけど、誰もそんなことには気がついてくれないしねぇ。ま、いいか。どうせなんの役にもたたねぇって、期待もされていないし。好きなように勉強させていただくしかないんだろうな。かえってありがたいですよ。それを許してくださっている在籍校にも感謝でありまする。
昨日はダブン書きをすることができなかった。孫の世話が楽しくて一日あはは・おほほと過ごしていたから。それと家事手伝いをしながらではダブン書きなんぞできるわけもない。掃除を手伝ったり、買い物に行く配偶者のために運転手をやる、孫をだっこしている、孫がじじぃを呼んでいると誤解をする。するとアタシャ書庫からすぐ吹っ飛んで行ってしまうのである。結局、研究者のミチなんて所詮オレには高値の花でありんしたねぇ。できっこないけどね。そんなことを言ったら馬鹿かとお叱りを受けてしまいますぜ。本学の先生方に。出来の悪い大学生でありますからなぁ。
どこでどうミチを間違ったのかね。はじめからか。(^0^)
ダブン書きをしていないから、佐藤優先生の読書についてのエッセーを書庫のコピー機でコピーして、オレなりの読書ノートに貼り付けて、コメントをつけていろいろ考えたりしていた。学問に対して、本当に素人だなぁと慚愧の思いでおったのだ。本当である。所詮、緻密さをもって読書してきたわけではない。研究者になろうと、精細なる学問をしてきたわけではない。むしろ、アタシャ学校経営シャとしてその反対側にいたような気がするのである。教えるよりも、教えている先生方を管理させていただいていたんであるから、土俵が違っていたんである。それにさっき気がついたのだ。研究者というのは、ある意味それを専門に何十年もやってこられた方々である。オレの場合は、違っちゃったではないか。
だから専門的にある分野を何十年も研究一筋でやってこられた方々を尊敬するのだ。大学の先生方というのもそういう境遇におられたからこそ、教授とか准教授とかになられておられるわけである。凄いことである。
そういう境涯を過ごすことができるということで、ある意味経済的基盤もおありになるのだろうし、オレにはそういうものがないから、非常にうらやましいのである。たいしたものである。学者は、ブルジョアでないとできないというのは、まさに本当である。オレのような本代にも困っているような輩では、学会活動もできないってわけだ。だったら、在野で頑張るしかないんだけどね。その在野にもいる場所がないではないか。(^0^)
オレのようなモノにもいろいろとクチをきいてくださる方があって、**という作家をどう思うかとか、研究方法についてアドバイスをしてくれとか言われる方がある。あるいは、こんな本を捜しているんだが、とか。オレは基本的に他者には親切にすべきであると幼い頃から教えていただいたから(両親や地域の方々に)、全力でチカラになるのである。そういう性格であって、狭量な自称エリート達とは若干方向性を違えているのかもしれない。要するにオレのことを優先しないのである。だから、博士になる、なりたい方にはどしどし資料もお貸しするし、お役にたつことあれば、なんかしてさしあげる。そういう性格なんである。自分がたいした能力もないから、せめての恩返しでもあるのだ。愚生の母校の米沢興譲館高校という学校名の「興譲」というふことはそういふことであると、聞いたことがある。あ、思い出した。オレが入学したときの中山校長だ。東大出の俊秀である。そういうことだ、そういうこと。
明日から塾の仕事が始まる。週に2回・合計3時間しか行っていないから、たいしたことをやっているわけではない。しかしである。この仕事結構楽しいのである。若い人にいろいろ教えさせていただいているのだから、これは面白い。若いヒトに接していると、こっちまで勉強になる。おかげでこの半年近く、かなりの英単語を覚えてしまった。あとは、高校数学の解き方も思い出したのだ。思えば、オレの高校は数学が県下で一番できた高校だったな。数学だけでも一日3時間やれ!って言われていたっけ。たいしたもんである。オレは早々と脱落したけれどもね。脱落しても一番好きだったのが数学でありんしたワイ。専門であると自称している国語よりもはるかにできたんです。(^0^)
塾にも予備校にも誰も殆ど行っていない高校だった。だいたい米沢にそんなものは似合わないですな。質実剛健。つましい生活をしてきているから。それでも国公立大学に200名近く現役で行っていたなぁ。凄いこったよ。たいしたもんじゃ。もんじゃ焼きだわな。ごちゃごちゃもんじゃですわな(^0^)
今、オレはそういう受験産業を支えているってわけだ。わらっちまうなぁ。こんなんでいいのかね。こんなんで。高野山あたりで、ありがたいお経でも唱えていたいっていうのがオレの本当の気持ちなんだけどね。なんだか、受験ばかり考えているっていうのは、レベルが高い高校ならばそりゃそれで良いんだろうけど、どうもオレには違和感があるんだ。どうせ大したことはないんだったら、そんなに粋がることはねぇだろうって思っておるからである。
もうやめよう。こんな話は。
けふも暑いのかね。
おおおおおお、ヤダね。