と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

場によって文は

2012年11月27日 08時21分45秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

ブログの記事と、論文体というか、そういう場によって文章は違ってきて当たり前である。

およそ、愚生の文なんぞ、論文体とはほど遠いので、苦心惨憺なのである。

能力がないといえば、そうである。認めざるを得ない。

ま、許されよ。

この程度でしかないのだから。

だから、ムリはしない。

ダメだったら、ダメでしかたなし。

それだけの器でしかなかったからである。

諦めるしかない。

 

よってである。

よって、愚生は自分の器を大きく逸脱して、他専門分野へ手を出そうとする気はない。雑読はするけれども。でないとつまらんではないか。いつもいつも専門分野だけの本を読んでいるってぇのは。

 

知人で、なんでもござれの大秀才がいる。

経済がご専門で、なんとまぁ日本古典文学の大論文も書かれる方がいる。

美術が専門で、古代史の論文を書かれる方もいて、この人とは時折旨い日本酒をかたむけることがある。大河利根川のほとりで、店主の日本酒のうんちくを拝聴しながら、一献一献また一献とやるのである。

こういうつきあいは楽しい。

比較がないからである・

どっちが能力があって、どっちが認められるかというような妙な競争心がないからである。

もうじじぃである。

そんなあほなジェラシーなんか、吹っ飛ばした方がいい。

 

ただし、評価は謙虚にいただく。当たり前である。内容に齟齬があってはならないからである。それくらいの理性はある。がっかりしないだけである。

そもそも最低の評価からスタートしているからである。

 

だから後は、ひたすら学ぶしかないのである。

だから楽しいのである。

ひろく学んでいると、時々いい宝物を拾うこともある。

チャンスというやつである。

出会いと言ってもいい。

 

今回の「一遍」がそうである。

なんだかまたのめり込みそうだ。

 

今日は寒いけど、これから暖かいうちに登校して、下校する。

オレ用のランドセル背負って。

 

(^_-)-☆

 

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