ブログの記事と、論文体というか、そういう場によって文章は違ってきて当たり前である。
およそ、愚生の文なんぞ、論文体とはほど遠いので、苦心惨憺なのである。
能力がないといえば、そうである。認めざるを得ない。
ま、許されよ。
この程度でしかないのだから。
だから、ムリはしない。
ダメだったら、ダメでしかたなし。
それだけの器でしかなかったからである。
諦めるしかない。
よってである。
よって、愚生は自分の器を大きく逸脱して、他専門分野へ手を出そうとする気はない。雑読はするけれども。でないとつまらんではないか。いつもいつも専門分野だけの本を読んでいるってぇのは。
知人で、なんでもござれの大秀才がいる。
経済がご専門で、なんとまぁ日本古典文学の大論文も書かれる方がいる。
美術が専門で、古代史の論文を書かれる方もいて、この人とは時折旨い日本酒をかたむけることがある。大河利根川のほとりで、店主の日本酒のうんちくを拝聴しながら、一献一献また一献とやるのである。
こういうつきあいは楽しい。
比較がないからである・
どっちが能力があって、どっちが認められるかというような妙な競争心がないからである。
もうじじぃである。
そんなあほなジェラシーなんか、吹っ飛ばした方がいい。
ただし、評価は謙虚にいただく。当たり前である。内容に齟齬があってはならないからである。それくらいの理性はある。がっかりしないだけである。
そもそも最低の評価からスタートしているからである。
だから後は、ひたすら学ぶしかないのである。
だから楽しいのである。
ひろく学んでいると、時々いい宝物を拾うこともある。
チャンスというやつである。
出会いと言ってもいい。
今回の「一遍」がそうである。
なんだかまたのめり込みそうだ。
今日は寒いけど、これから暖かいうちに登校して、下校する。
オレ用のランドセル背負って。
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