と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

しみじみとした情感(映画と卒業式)

2013年03月07日 23時30分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

  藤沢周平の「蝉しぐれ」は、愚生にとっては特別に思い入れのあるとても好きな作品である。ラジオの名作劇場でやっていたのを、今はあっちの世界に行ってしまった愛犬と散歩をしている途中にたまたま聞いて、そのしみじみとした語りクチに引き込まれてしまった。それから文庫本で読み始めて、50代から藤沢周平のファンになってしまったのである。

 舞台が、わがふるさとの山形県であるし、愚生の育った米沢とは違った魅力のある庄内地方である。藤沢周平さんにも格別の興味があった。亡母の母校山形師範の後輩であったからかもしれない。

 その蝉しぐれのレンタル・ビデオを借りてきていたのを思い出して、夕方からずっと見ていた。途中塾に行っていたので、中断した。帰ってきてから、再度見始めて、22:32見終わったのだ。そして、ラストシーンで思わずハンカチを濡らしてしまった。

 

ウキペディアからちょっと引用してみよう。↓

あらすじ [編集]

「海坂藩(作者創造による架空の藩。庄内藩がモデルとされる)を舞台に、政変に巻きこまれて父を失い、家禄を減らされた少年牧文四郎の成長を描く。小説の冒頭で文四郎は15歳。市中の剣術道場と学塾に通い、ひとつ年上の小和田逸平や同い年の島崎与之助と仲がよく、また隣家の娘ふくに不思議と心を引かれ、すこしずつ大人になりつつある年頃である。平凡な日々がおだやかに過ぎてゆくなかで、お世継ぎをめぐる政争が表面化し、これに関与していた養父助左衛門は切腹を命ぜられる。」

 

 主人公の牧文四郎の成長の描き方が実にいい。剣術と学塾に通い、真摯に自己を磨いていく姿に、ほれぼれとした。さらに隣家の娘のふくとの淡い恋ごころ。川で、ふくが蛇に噛まれて、彼女の噛まれた指から毒素を吸い出すシーンから始まるのだが、印象的である。ヤマカガシだから毒は無いのだそうだが、二人の未来を暗示していてとても新鮮な気分になる。こういう男女の関係性というものがあるのかないのか、石部金吉の愚生にはまったくわからんのだが、ともかくすてきなシーンである。

 やがて、ふくは藩の江戸屋敷に奉公に出される。ふくの思いもつらいものがある。二人の別れは、なんとまぁ情感が籠もっているのだろう。

 養父の死去。牧文四郎は、養父の死骸を大八車で市中を運び、通りの人から水をぶっかけられ、侮蔑の言葉を浴びせられ、とうとう郊外の山坂道にたどりつく。独りではどうしてもその坂道を上がりきれない。そこに、坂の向こうからふくがやってくる。ふくは、大八車を押してくれる。黙ったままである。静寂なまま話が進んでいく。こういう演出は、今のドラマではなかなか見られないからグイグイ引き込まれていった。

 藩政の争いごとがいろいろとあって、それはそれで小説ではなかなか興味深いことであった。生臭い話しは、現役時代にはおもしろかったが、今はそんなくだらないことは、まったく興味がない。よって大胆に割愛する。

 愚生の興味は、木村佳乃演ずる大人になってからのふくである。藩主の側室になっていたのである。そして、藩主の子も産んでいた。またまた、そのふくの産んだ藩主の子どもをめぐって政争が繰り広げられる。

 剣の達人である牧文四郎は、その争いに巻き込まれてしまう。なんども危機が訪れる。その度に切り抜けるのだ。たいしたものである。

 そして、ラストシーン。藩主が亡くなって、ふくは尼僧になることとなってしまう。時代性からして仕方のなかったことであろうとも思うが。二人は、最後の思い出として静寂な家屋で会う。今風に演出すれば、ここで妙ちくりんなラブシーンでも出てくるんだろうが、そんなあふぉ~な演出は一切ない。情感しかない。

 それもまたいい。くだらない映画で、営利のみ目的としているような、おどろおどろしいカラミがいっさいない。さすがに藤沢周平の味を出している。

 こういうのを切ないというのであろう。よい作品を見させてもらった。

 

 

 実は、ここまでは前段である。

 それにしては随分長いではないかと叱られそうだ。(いつもだけど)

 今日は、現役時代に勤務させていただいていた某高校の卒業式に呼んでいただいたので、出かけたのである。もうこれで生涯最後であろうから、快く出かけた。最初、校門を入って野球部の諸君が駐車場まで案内してくださった。後で先生方にお聞きしたら、一年生だということであった。それでは愚生のことなぞ知る余地もない。ご苦労様です、ご苦労様ですと声をかけて車を止めさせていただいた。

 それから、現在の校長先生にご挨拶をして、四方山のお話をうかがい、就職のこと、進学のこと、学校生活のこと等々を教えていただいた。なかなかの活躍ぶりである。すばらしい成果を出しておられる。

 また、新校舎のことについても、いろいろと事務長様から教えていただいた。

 そしていよいよ卒業式会場に案内された。保護者の方々でも、教え子がけっこうおられるので、軽い会釈をしながら、登壇させていただいた。今度は見る位置が違っている。

 すばらしい式の進行ぶりに感心しながら、式が終了した。

 そして、担任の先生が本当に最後の卒業生の引率をする。**先生ありがとうというカードを掲げたクラスもあった。またしみじみと静寂に謙虚な礼をして去っていったクラスもあった。さらに、回れ右をして保護者席に感謝の礼をしたクラスもあった。

 情感の大切さを、卒業生に教えていただいたような気がしていた。ここまで成長したということである。入学した時は愚生が入学許可をさせていただいた生徒たちであった。謙虚に、どこまでも真摯に学んだ結果が、今日の日であった。素直に、祝する気持ちになった。

 もう会うこともないだろう。彼ら・彼女らとは。

 しみじみとした情感にあふれる生涯を送っていただきたいと思うばかりである。

 

 おめでとう。

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