みんなおはよう! キンキンキラキラ金曜日。今日は横芝光町の広済寺で仏教劇「鬼来迎(きらいごう)」が演じられるよ。鬼のお面が恐いんだよね~。((((;゜Д゜))))
さぁ、皆様そろそろ起きましょう。アサは一番力の入るときです。いつまでも起きている人は、もっと早く寝ましょう。そして、アサから働くのですよーん。#fb
いいお言葉ですねぇ@人間は、元々そんなに賢くありません。勉強して修行して、やっとまともになるのです。(by 瀬戸内寂聴)#fb
いい言葉である。まさに身に染みる。まったくオレのことを言っていただいているようだ。なんでか。オレは「バカ」だからだ。元々賢くないどころか、正真正銘「ウマシカ」である。ほんとうに慚愧の思いで生き... goo.gl/rTMr7I
「技法」とはある意味で本源的な受動性の否定である。しかしこの否定は、多様にそなわる堅固さに対しては作為として理解されうるし、そう理解されねばならない。-カントの人間学-
清水寺十一面千手観音菩薩像:江戸時代1633年の作で、33年に1度開帳される秘仏。紐の片方が仏の指に結ばれているので、もう片方を手に取りお参りする。twitpic.com/9ct157
卓れた芸術は、常に或る人の眸が心を貫くが如き現実性を持っているものだ。人間を現実への情熱に導かないあらゆる表象の建築は便覧(マニュアル)に過ぎない。 (様々なる意匠)
権力の諸関連は一辞一義的でなく、多数の対決点、不安定性の根源を規定する。その根源のそれぞれが、争いや戦いや力関係の少なくとも一時的な逆転等の危険を含んでいる。-監視と処罰-
「個体化の原理」を突き破って見ることは、それに必要な程度に行なわれるだけではなしに、さらに高度に行なわれて、積極的な好意や慈善へ、また人類愛へと人を駆り立てずにはおかない。
死について考えることこそ哲学だというのは、じつはハイデガーによって設定された20世紀実存哲学独特の偏向であってね。哲学とはもともとは「フィロソフィア」、つまり知(ソフィア)を愛する(フィロ)ことなんですよ。だから、好奇心いっぱいで、おしゃべりなひとこそ哲学者なの。
戦争状態になると、永遠なものとされてきた制度や責務からその永遠性が剥ぎ取られ、かくて無条件的な命法すら暫定的に無効となるのである。戦争状態がありうることで、人間の行為の上に予めその影が投げかけられている。-全体性と無限-
闘争と真理の間のこの関係は真剣かつ根本的なものだが、何世紀にもわたって哲学が展開されている次元であるこの関係は今、理論的な言説の内部での論争において、芝居がかり、肉を削がれ、意味や効果を失っている。したがって、このようなことにおいては、政治は絶対にやらない。-安全・領土・人口-