弘済寺 横芝光町虫生
青空を現代の怪物飛行機が飛んでいる・・・・なんだか象徴的であります
(ちぼっと見えるでしょ? 飛行機 そうです成田空港に近いんです)
無縁仏の供養塔である。なかなか見られないものである。土地の方々の思いやりが
わかる。
昔は、左右にうっそうたる樹木があったのだそうだ
昨日、横芝光町の鬼来迎について勉強をさせていただいていた。
光町の図書館でいろいろと資料を仕込んで、ビデオまで貸していただい た。感謝感激である。さっそくそれを大学まで運んで、キーワードリストを作成していた。むろん、記憶のためにである。さらに、山形県の黒川能の「黒川村春日神社文書」という本をあちこちデータベース化していたので、それはむろん読みながらであるが、あることに気がついた。それは、けっこう金銭に関わる古文書が残されているからである。
これは面白い。
今、読んでいる興福寺の咒師関連の古文書もまたそんなのがありはしないかと、かなり期待を持っていろいろな資料を眺めている。
ある意味、思いこみというものが愚生にはあるのかもしれない。ま、それは今は触れない。このブログはいろいろ能楽の方が見ていらっしゃるようですから。それに大学の能楽の部活動関係の方々も。ありがたいこと限りなし。Twitterで確認したところ、東大、慶應、京大、同志社、法政、早稲田等々の方々である。能楽師の方もおられる。実にこわ~いことである。ある意味、間違ったら間違いをご指摘いただくだろうから、それはそれでありがたいことでもあるが。
定年後に、こんなことをやりながら過ごすとは夢にも思わなかった。さらに、昨日も書かせていただいたが、ある冊子の編集の仕事をいただいた。県知事様も、ご寄稿されるような冊子である。冊子と言ったら叱られるか(^0^)
要するに、そういうことである。
?
アニガ ソウイフコトダ?とまたまた千葉方言で叱られるですなぁ。なんも明らかにしていないではないかと。そのあたりは、まぁファジ~にしときまひょ。
明らかにしていないということでは、いろいろ愚生は文章に仕掛けがしてあって、なんでも全部くっちゃべっているようだけど、その辺りは巧妙に書いておるつもりです。結局、個人情報は住所も、℡もなんにも明らかにしておりません。あたり前ですがねぇ。所詮三流の人間っすから。(^0^)
日本語というのは、ほんとうにあちこち仕掛けがしてあって、例えばフランス語に翻訳をする場合に、困るということを聞いたことがあります。
川端康成の「雪国」だって、あの冒頭の「トンネルを・・・夜の底が白くなった」を、ただ単に単純系で翻訳しては原作の趣というものが損なわれる。
太宰の「桜桃」もそう。書き出しが、「子どもより親が大事と思いたい」というのがある。あれもいきなり来るから、実に太宰はうまいのだ。これ、五七五で始まる。つまり、五七五で始まるということは、すでに太宰の底意地の悪さがあるということに気がつかなくてはならない。まじめなことを書くつもりはありませんよという太宰なりの意思表示であるからである。これをである。「これからは、あなた命ですごしますから、だからずっと愛してくださいね」なんて書いたって誰も読みはしないのである。韻文の欠点というのは、そういうところにある。
こういう諧謔のニュアンスはなかなか翻訳では伝わらないのである。もっとも顕著なのは「父さんも汗くらいかくよ」という文章。これを翻訳したらどうなるのか。「父は、汗をかいた」となる。My father sweats, too.なんて英語ならなるのかいの?つまらん英語だ。実につまらん。もっともオイラがやるからこうなるんだけど。
普通名詞なのか、人称代名詞なのかの区別がつかないから、翻訳家というのは相当日本語に精通していないとできない仕事だと思うからである。
愚生?
できん、絶対できん。だって、日本語についてまったくわかっていないんですから。
今日は、これから登校して、また古典のデータベースを作成する。
お昼の学食で何を食べようかなぁ。
楽しみ、楽しみ。