と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

費丹旭と溪斎英泉

2012年07月11日 23時29分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

一 はじめに

 平成二四年五月二九日から七月八日まで千葉市美術館において「浮世絵師 溪斎英泉 蘇る 江戸の媚薬」が開催されていたが、この七月八日をもって終了した。私は、七月三日に入館させていただいた。350点にも及ぶ収蔵作品の展示があった。「美人東海道」という英泉の有名なシリーズがあるが、その中でも「大磯駅」について、フランスのルーブル美術館が所蔵するウジェーヌ・ドラクロワの「民衆を導く自由の女神」との比較から考えるということで、日本美術の特質について初めて考察することとなった。さらに、費丹旭の美人画である。・・・

以下略

 

 上記のような書き出しで、レポートを作成した。約3000字。さっきメールでお送りした。けっこうまじめに努力している。

 今日は、想定内読者のE氏の訪問を大学にいただいた。ありがたい限りである。昼食をいただきながら、四方山の話をさせていただいた。こういう対話が一番勉強になる。E氏よ、ほんとうにありがとうございます。また来てくださいね。他の方も、大学に来ていただければご案内しますよ。愚生のように、老年学生をやってみたい方には特に親切にいたします。

 求名の駅から学校に向かって、ようやく着いたと思ったら、院生室のあるF棟の前で、男子学生がずいぶんしみじみと愚生に挨拶をされた。びっくりした。勘違いしていませんか?と言いたかったが、もしかしたらと思った。前の職場の卒業生かも、と思ったからである。ところが記憶にないのだ。まったく、しょうもないやつである。会話をすればなんとかなったかと思ったが、今日はいつになく急いでいたので、できなかった。悪いことをした。ごめんなさい。今度あったら、対話しましょう。

 今日は、橋本治先生の著書を読んでいた。

 古典をどう読むかという視点で読むと、この先生の本はすこぶるいい。だいいち、古典の作者といえども同じ人間だというのがいい。確かにそうである。同じ人間が書いているのである。日本書紀や古事記を読むことがかなり頻繁にあるが、あの漢文だらけの読み方でも、絶対の正解ってないらしいということを知って、ますますやる気が出た。たしかにそうでありますなぁ。

 これから難読漢字なんかも、やらねばならん。崩し字がいちばん苦手である。しかし、これをやらんと次の段階にいけない。当たり前である。そんなに学問ちゅうのは甘くは無い。

 しかし、亀のような歩みである。こりゃぁ、無事修了できるかなぁ。できない可能性の方がかなり高くなってきた。周囲の方々のレベルが高すぎる。しかし、その時はその時だ。後顧の憂い無く見事に退学である。(見事かどうかはわからんけど) しかたなしである。能力適性に欠けるからである。しょうがないときはしょうがないからである。


 

 

 昨日の記事で鬼来迎の説明が無かった。

 以下に引用してみよう。wikipediaからである。



 今日はこれにて、さようなら!

 明日、千葉科学大学で授業をしなければならんので。

 

 

鬼来迎

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鬼来迎(きらいごう、または鬼舞ともいわれる)は、千葉県山武郡横芝光町虫生の広済寺に伝わる、地獄の様相と菩薩の救いを仮面狂言にした日本唯一の民俗芸能である。1975年昭和50年)の文化財保護法の改正によって制定された重要無形民俗文化財の第1回の指定を受けた[1]

目次

内容 [編集]

地獄を再現し、因果応報勧善懲悪の理法を説く仏教劇で、すべて地元民の手によって、毎年地獄の釜の開く日といわれる月遅れのお盆8月16日に演じられる[2]。地獄を舞台とし、死者が閻魔大王の裁きを受けどもの責め苦に遭うものの菩薩によって救われるという内容で「大序→賽の河原→釜入れ→死出の山」の四段と、広済寺建立縁起を物語る「和尚道行→墓参→和尚物語」の三段、全七段からなり、所要時間は、約1時間30分。現在は大序・賽の河原・釜入れ・死出の山の四段のみが上演される。

農村信仰の原型とも言われ、衆生救済を描く他に類例の少ない民俗芸能であり、農村と信仰、そこにあらわれる鬼とは何かなどが語られる。また地獄の恐ろしさと菩薩の慈悲を間近で感じることができるとも言われる。

由来 [編集]

鬼来迎の由来として、「旅の僧石屋(せきおく)が夜道に迷い、虫生(むしょう)の里の辻堂で休むうち眠りに入ってしまった。眠りの中で石屋は亡者を めぐる、文字どおり地獄絵図の様子をかいま見てしまう。賽の河原で果てしのない石積みを強いられ、鬼に追われる亡者たち。連行された地獄で亡者が筆舌に尽 くしがたい責め苦を負わされる中、ある亡者の時に地蔵菩薩が現れ、鬼達に供養卒塔婆を渡すとその亡者は成仏するというケースを知る。やがて白州に一人の娘が連れてこられ、浄玻璃鏡で 虫生の里に住む椎名安芸守の娘妙西であることが明らかとなる。責め苦に耐え続ける妙西を見るに堪えかねた石屋は夢から覚めると、妙西の成仏を何とかしたい と椎名安芸守夫婦を捜し回る。辻堂近くで椎名安芸守と妻顔世に会い、妙西の件で話しかけると屋敷に招かれ、夢で見た様を一切話すこととなった。地獄絵図の 際を聞くと安芸守夫妻は「娘よ妙西よ」と嘆き悲しみ、娘を責め苦に陥れた自らの罪障の消滅と妙西の成仏を願い、広済寺建立を約束した。」という話が伝えら れており、鎌倉時代初期に始まったといわれている。

アクセス等 [編集]

  • 日時:毎年 8月16日 15:00頃~
  • 場所:千葉県山武郡横芝光町虫生483 広済寺
  • 交通:当日は、JR東日本総武本線横芝駅から無料送迎バスあり

脚注 [編集]

  1. ^ かつては利根川沿いの香取郡下総町(現・成田市)や同郡小見川町(現・香取市)などでも鬼来迎が行われていたが、現在は広済寺のみとなった。成田市迎接寺にはその時の鬼面・亡者面など、香取市浄福寺には『鬼来迎問答引接踟供養記』が寺宝として残っている。
  2. ^ この日は施餓鬼供養と重なったため、その一環のようになっている。

資料 [編集]

 

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