藝能史の観点から見ると、女性抜きには語れないのだ。マジに。能の「百萬」もそうだったし。それでもってのめり込んだから・・・・。
県立図書館に行って、脇田晴子先生が亡くなられたのを知った。特設コーナーがあったから、この書籍を借りだしてきた。
藝能史に特段の光を与えてくれた女性たちを扱っているすぐれたご研究である。
ちなみにWiKiでは以下のように紹介されている。
脇田 晴子(わきた はるこ、1934年3月9日 - 2016年9月27日[1][2] )は、日本の歴史学者。滋賀県立大学名誉教授。文学博士(京都大学、1969年)(学位論文「中世商工業座の構造」)。兵庫県西宮市生まれ。父は俳人の麻野恵三(微笑子)、夫は歴史学者の脇田修。子は経済学者の脇田成。
略歴[ソースを編集]
1956年 神戸大学文学部史学科卒業
1963年 京都大学大学院文学研究科博士課程単位取得退学
1967年 京都橘女子大学文学部助教授
1981年 京都橘女子大学文学部教授
1984年 鳴門教育大学学校教育学部教授
1990年 大阪外国語大学教授
1995年 滋賀県立大学人間文化学部教授
2004年 城西国際大学大学院人文科学研究科客員教授
2007年 石川県立歴史博物館館長
今、佐伯泰英の時代劇小説を息抜きにしながら、脇田先生のこの書籍を読ませていただいている。そうなのである。同時並行処理だ。これ、塾の指導をしながら思いついた指導法なのだが、ボキ自身にも役に立つ。つまり、数学で空間図形が不得意な塾生には、ノートを二冊用意させてそれはそれで演習をやらせる。後は、頁順に演習をやっていくのである。ま、どうでもいいような話であるが。
なんで脇田先生の本も読んでいるのか。同時並行の傍ら。
ボキもまたこういう話に興味関心があるからである。特に、女性達の数奇な運命というものにである。実は吉原の遊女達にも興味関心がある。今、それらを探っているところである。なぜ、身を落とさざるを得なかったのかというその一点に限ってである。好きで、遊女になったのではなかろうから。それも、歴史的には浅い。江戸時代だからである。
そもそも、今でこそ天下の大都会東京なんて威張っているけど、あそこは元々なんにもナカッタところである。
房総半島の方がはるかに開けていたのだ(^_^)。
もっと言えば神奈川県。鎌倉があったしなぁ。
よくご自分の血統を自慢する方がいる。しかし、よ~~~く聞いていると歴史が浅い。どっかから流れてきた方々が血統自慢をされるようである。落人の伝承も、ボキは怪しいとにらんでいるのだが、大同小異である。
さらにある。学歴自慢をされる方々である。母校自慢である。地元の進学校を出たからと言って、堂々と自慢をなされる。おかしくてたまらない。進学率とかもろもろの点でも眉唾であるからだ。これはボキもまた流れモンであるから、冷静に判断できるっちゅうもんであるから。
わはははっははっはははっはは。
あ、これ以上は書かない方がよろしいようである。所詮、ボキは流れモンであるからだ。
お後がよろしいようで。
Bye-bye!
「日本中世被差別民の研究」 詳細情報
タイトルコード |
1000001300316 |
書誌種別 |
図書 |
書名 |
日本中世被差別民の研究 |
書名ヨミ |
ニホン チュウセイ ヒサベツミン ノ ケンキュウ |
言語区分 |
日本語 |
著者名 |
|
著者名ヨミ |
ワキタ ハルコ |
出版地 |
東京 |
出版者 |
|
出版年月 |
2002.10 |
本体価格 |
¥12500 |
ISBN |
4-00-024213-X |
数量 |
396,12p |
大きさ |
22cm |
分類記号 |
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件名 |
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内容紹介 |
差別はなぜ残っているのか。現在の差別の淵源として中世の被差別民は、長い歴史過程のなかでどうして出来てきたのか。女性差別の淵源と根はおなじという立場から、中世の被差別民の歴史についての研究をまとめる。 |
著者紹介 |
1934年兵庫県生まれ。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。滋賀県立大学人間文化学部教授。文学博士。著書に「日本中世都市論」「日本中世女性史の研究」「中世に生きる女たち」など。 |