なんでこんなに面白いかというと、世間学から見ると、オレが今まで阿部先生流の差別というものをされてきた理由がよくわかったからです。オレには、なるほど阿部先生の言われるような世間が、この地には無い。このことは、ヨソのところに発表させていただく駄文にも書かせていただきますが、長文の読書ノートのカテゴリでも書いてみましょう。いつかは。
よそ者だということだけで、差別される。このことは間違いがないのでしょうなぁ。被害にあっている方の感じ方で、条件はみたされるんですからねぇ。セクハラとか、アカハラとか、パワハラと一緒でございまするよん。
あんまりいい気になっているといかんということですわなぁ。訛っているヒトに、と~まよ!オメェは随分訛っている、どこの出身だ?きたねぇ言葉だなぁと何度も言われて参りましたからね。江戸方言だって、ヒトのことは言えないでしょうけれども。そういうのと一緒でしたから。喜劇か漫談っすねぇ。(アッシは、東北弁のプロでありますが・・)(^0^)/ウフフ
あ、あたまのつるつるは違いまっせ。これはオレ、自覚しているから。でも、これも受け取り方一つでは差別になるんでしょうなぁ。あまり他人には言わんほうがよろしいでしょう。
それと人権という問題にも言及されているし、なかなかであります。個人というもののあり方、あるいは、日本人に個人という概念はあり得るのかということも含めて、午後からまた楽しいひとときでありますよん。