と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

世間とは排他的である

2012年09月22日 22時57分53秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

世間とは「排他的」である。
その一点において、差別とつながる。

職場でも、学校でも、住居でも、国土でも。
良い例が、葬式に出ないというものは、世間から認定されない。

身内であると認められないというわけだ。

また、世間体があるから葬式に出るわけであって、それはなにも宗教性を意味しない。
これは日本特有のことである。ヨソ様と香典の違いがあってはならないと、そこまで
気にするわけである。これは、世間体宗教であって、宗教でもなんでもない。

ある学会で、学会員の殆どが特定大学の出身だからと言って、肩組んで特定大学の校歌を
歌うようなものである。
実際にそれを聞いた東京帝大のせんせが、呆れたと言っていたことを覚えている。

この面からいろいろと考えていくと面白うてならない結果が招来するような気がするのである。

 

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