と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

第二の人生は延長戦か

2012年11月29日 13時19分41秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

第二の人生ではすべてを失ってしまう。

まず、名刺を失ってしまう。愚生も処分した。ついでに、本学の先生から名刺をいただくことがあったが、お返しに差し上げるべき名刺がない。処分したから、ない。ナイナイついでに、肩書きもない。あははははである。まさか、教えている方の大学の名刺を差し上げるわけにはいかないし。

困ったから、郷土史の会員になっているという名刺を最近作ったが、これもまた10枚作って全く使う機会が無い。作らない方が良かったのだと後悔している。

困るのは、いろいろな場所で、ご職業は?と聞かれることがある。温泉でもそうだ。そういうときは「無職」と書かせていただく。わははである。何を恥じらう必要があろうか。

Facebookでも、「無職(年金)」と書いている。そんなものである、そんなもの。

ところがだ。世の中には勘違いしているバカがいるらしい。あるレストランで、客が混んでいたのでつい腹が立って「オレをダレだと思っているんだ!・・この間まで某一流企業で役員をしておったんだぞ」と凄んだのがいたそうである。

笑ったなぁ。こういう程度が、某一流企業で役員なんかしているから、日本経済は発展しないのだと思うねぇ。

 

ロックフェラー1世が、同じ場面でなんと言ったか。

同じように、「オレをダレだと思って・・・」と思ったのかもしれない。ところが、世界の金持ちは違う。やることが。あっと言う間に、その店を買い取って悠々と一人で食事を楽しんだそうである。ある本に書いてあったから紹介しているが。

威張りたいなら、これくらいのことができるようでないといけませんなぁ。

 

第二の人生は、第一の人生とはまったく違う世界である。まったく新しい人生である。そうでないと、つまりいつまでもこだわりつづけていると、人格を疑われる。あるいはオオ恥をかかされて、バカかと言われてしまう。

第二の人生には、素のママの人間しかない。

失ったものは、

①社会的地位

②肩書き

③人間関係

の3つである。

あっさりと無くなってしまったのである。これを自覚していないと、生きていくのはますます厳しくなる。

 

愚生のモットーでもあるが。上記のことは。

ま、大したことではないのだけれども。

 

 

 

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