第二の人生ではすべてを失ってしまう。
まず、名刺を失ってしまう。愚生も処分した。ついでに、本学の先生から名刺をいただくことがあったが、お返しに差し上げるべき名刺がない。処分したから、ない。ナイナイついでに、肩書きもない。あははははである。まさか、教えている方の大学の名刺を差し上げるわけにはいかないし。
困ったから、郷土史の会員になっているという名刺を最近作ったが、これもまた10枚作って全く使う機会が無い。作らない方が良かったのだと後悔している。
困るのは、いろいろな場所で、ご職業は?と聞かれることがある。温泉でもそうだ。そういうときは「無職」と書かせていただく。わははである。何を恥じらう必要があろうか。
Facebookでも、「無職(年金)」と書いている。そんなものである、そんなもの。
ところがだ。世の中には勘違いしているバカがいるらしい。あるレストランで、客が混んでいたのでつい腹が立って「オレをダレだと思っているんだ!・・この間まで某一流企業で役員をしておったんだぞ」と凄んだのがいたそうである。
笑ったなぁ。こういう程度が、某一流企業で役員なんかしているから、日本経済は発展しないのだと思うねぇ。
ロックフェラー1世が、同じ場面でなんと言ったか。
同じように、「オレをダレだと思って・・・」と思ったのかもしれない。ところが、世界の金持ちは違う。やることが。あっと言う間に、その店を買い取って悠々と一人で食事を楽しんだそうである。ある本に書いてあったから紹介しているが。
威張りたいなら、これくらいのことができるようでないといけませんなぁ。
第二の人生は、第一の人生とはまったく違う世界である。まったく新しい人生である。そうでないと、つまりいつまでもこだわりつづけていると、人格を疑われる。あるいはオオ恥をかかされて、バカかと言われてしまう。
第二の人生には、素のママの人間しかない。
失ったものは、
①社会的地位
②肩書き
③人間関係
の3つである。
あっさりと無くなってしまったのである。これを自覚していないと、生きていくのはますます厳しくなる。
愚生のモットーでもあるが。上記のことは。
ま、大したことではないのだけれども。