と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

ブログの効用

2013年02月10日 23時22分12秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 ブログの効用とはなにかということを考えることがある。忘備録なのであろうか。ちょと違うような気がする。自分の記憶の為だけらなら、こんなものは必要ない。そういうことを言っている人もいるが、読んでいる人の反応があればそれなりに楽しんでいる方もいるから、やはり読み手を意識しているのである。 

 拙ブログの場合は、ちょっとしたアイディアが思い浮かんだ時にこれを逃したくないのである。だから日常的なことから、読書感想文みたいなもの、経験談等々を書くのである。さらにいいことは後で検索ができる。これはありがたい。実にありがたい。ま、アタクシは研究者でも学者でもないから、論文の下書きをここに書いておいて、その基礎資料とするようないきかたもできない。第一、資料にするだけのファイルも拙宅に存在しない。

  童話のカテゴリを作って、童話に関することを書いてみたが、あれも郷土史の話しを聞いて忘れたくなかったからである。それだけである。だから学説的に正しいかということになると、いささか自信がない。それはそれで研究者や学者の方々におまかせするしかない。

  もともと他人向けに書かれた個人日記であるから、どうしてこんなことを書くようになったか、あるいは思いついたかという経過を書いているだけである。だから、意味があるのだと思う。しかし、このことは意外にもいいことだらけである。数年前に、***のようなことあったっけなということばかりではなく、考えたことの経過が書いてあると、それから先の駄文書きが容易になるのだ。これはなかなかである。

  今晩も文献読みをしながら、読書カードをとっていた。さらに、昨日の郷土史研究会で古文書の指導をいただいていたから、その余韻に浸っていた。本物の古典の読み手になりたいと思っているからである。これまではその本物の実力は無かったと自省しているからである。

  さらに新規の駄文書きに入らねばならない。いつまでも同じ材料で書き続けるわけにはいかない。それが厳しい。なにを書くのかと考えていた。そうしたら電話をいただいた。今年の千葉市で行われる文化講座でなにか話しをせよとの事であった。快諾した。なにしろそういうことでは断らない人であるから。(^0^)

  ただし、時間が二時間である。材料はあるからやれるだろうけど。また自分を追い込んでしまった。ははははである。いつもこうだ。自分から仕掛けてしまうのである。それで自己満足しているのだ。馬鹿な男である。

 

 それだけ、ただのそれだけの男でありまするよん。

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