師を持つということは、実に幸福なことである。それは、私に関して「こいつはナンモ知らない」ということを知っている人=師との出会いから始まるからである。
「オイラは、ボクは、ジブンは**ができる」ということを量的に拡大していくことが教育なのではない。むしろ私は**について知らない、**についてできないという事態を適切に言語化していくその仕方を学ぶことが教育なのである。
だから師が必要なのである。師とは、成長の過程で最初に出会う他者である。私の知識も、経験も、理解も全部を超越したところの知的環境の中におられるという方が師である。師事するということは、そういうことである。
したがって、師事をするということは、自分の不能・半端な知識・能力の無さを謙虚に受け入れて、そのこと自体を語ることができるか、できたかということである。うぬぼれて、お高くとまって周囲の人々を、あふぉ~扱いにしてオノレだけが価値ある人間のように考えていてはならんと思うのである。
ところが、学級崩壊とか言われて久しいが、こういう現象の中には、師を持つことのできない種類の人間がいるのではないかと思うのである。同一ジャンルの情報量の拡大と、緻密化以外に、知的な世界というのはまだまだあるということに考えが及ばなかったという悲劇のヒトである。保護者も含めてである。師を持つことができなかったというのは実に痛々しいことである。見ちゃおれないくらいである。師を持つことができなかったから、モンスターペアレンツになってしまったのである。その証拠に教師が馬鹿に見えて仕方がなかったんでしょう。少なからずである。師を持つ気が最初から無いのである。どこまで傲慢なのであろうか。カミのようになんでも知っている、知っていらしゃるのであろうから。完全無欠なんていう人間なんているわけないでごじゃりますよ。だから、自己の知的な謙虚さを無視してはならんのであると、不完全で愚かなアタクシは思うのである。
先日、あの有名な日比谷高校の全盛期を過ごした方のエッセーをインターネットで拝読した。どうやら同窓会のような組織への投稿らしい。愚生と同年配の方々なら、どれだけ凄かったか知らないひとはいないだろう。殆どが東京大学にあたりまえのように入学していった高校である。
その方は、日比谷の雰囲気を「シティボーイの都会性」と「強烈なエリート意識」と「小市民的なエピキュリズム」に「文学的ミスティフィケーション」と書かれている。これはその辺の地方進学校が書いたら、殴られるような要素である。しかし、日比谷なら嫌みにはならない。あってしかるべき日比谷のミッションであるからである。どうしたって、エリートは必要であるからである。
さらに、日比谷では、まじめに受験勉強をすることが禁忌だったという。「勉強しすぎたせいで成績がいい生徒」というのは、日比谷高校的美意識からすると「並みの生徒」でしかなかったからだと言われる。試験直前まで、体育会系のクラブでアセを流したり、フランス語の詩を暗唱したり、それでも日比谷で抜群の成績を取るような生徒が周囲のリスペクトを獲得したのである。
日比谷的秀才と言うのは、僕らはなにも深いことなんか考えていませんよ、なんとなく周囲に合わせて気楽にやっているだけなんです。成績なんて気にしたことないですよというスタイルをとっていたのである。それも感じよくアピールするのだそうだ。所詮、旧制帝大に50人以下ぐらいしか進学できない自称地方進学高とはワケが違うのである。これはシビアなのである。だから、オレのところは進学高であるなんて言っちゃいけないのである。マジに。
嫌みな学校であるととるか、さすが日比谷であるととるか。愚生は後者である。そういう秀才ばかりに囲まれていると「原器」となる模倣したくなるような生徒が出現する。感じよく、あくまで謙虚で、そっと勉強をしている。目が血走っていない。そしてあれよあれよという間に、日本を背負って立つようなポジュションを獲得していく。
それもまた「師」なのである。だから、日比谷のようなスーパー進学高というのは強いのである。
またいつものとおり前振りが長くなった。シティーボーイではないちょ~田舎人の愚生である。さらに非スマートだからできることばかりを追求して来た、凡人「と~ま君」である。お許しを。
なぜここに書いたようなことを思うか。
それはよって来るところの「自分」とは何かという考慮をなさずして、成長してきてしまったのではないかと思うからである。アタシもヨソの人もである。全部自分が基準で、自分のことしか考えず、就職や進学のみがすべての価値に優先すると勘違いをしてきたからである。それでは自分とは何か。その問いに愚生なら、「自分なんて無いとしか答えられない」と思うからである。あまりにも、自分・ジブン・jibunというモノに執着して、迷いつつ過ごしているのがアタシもヨソの人も多すぎると思うのである。
それは他人に対してもそうなのだ。
何をもって他人はアタシのことを「と~ま君」というのであろうか。目か、ハナか、耳か、眉か、めがねか、髪の毛か。しからば愚生のように髪の毛が一本も無いのはどうするのか。人間を規定しているものはなんなのか。是非とも自称天才・秀才の方々に教えていただきたいことである。
時々冗談のように言うが、美人が美人に見えるというのは何をもって美人というのか。なんの根拠もないのではないのか。
昨日は、唯識学の碩学横山紘一先生に少人数で講義を受けていた。仏教心理学会であった。東京である。そして、一献の美酒を通して、夕方さらに教えをいただいていた。愚生の知らないことを、師に方向性を示唆していただいていたのである。知らないということを表明するから、師は愚たる自称弟子に教えてくださるのである。そこには、「知」か「無知」かということについての、対話があるのである。それこそが、師を持つことの幸せである。
時々言われることがある。「何が不満で、そんなにあちこち学校に行っているんだ?」と。 え?って聞き返すことがある。学校って、不満のはけ口で行くところなんですかねぇ?と。上昇志向というか、何かもっと収入のいい仕事をしたいとか、高次のライセンスを取りたいとかというのが、およそ一般的な進学の動機だからだそうだ。ホントかねぇ?そんなもんで進学するんですかねぇ?それって、アメリカ的ビジネスマン的な、エリートを想定して言っているんじゃないでしょうかね。アメリカのような文化が全てにおいて優れているとは、到底オロカナル愚生には思えないのでありますが。(^0^)/ウフフ
「道楽ですよ、道楽」と申し上げると、「まだ不満の段階に達していないからだね」と言われることがある。これまた、え?って言ってしまう。道楽で勉強していてはならんのだろうか。趣味で。好きで。
動機がなければ、学校に行くはずがないと言われる方は、日比谷高校的知性というのをどう考えられるのであろうか。
どうでもいいような話ではあるが。もっともどうでもいいんだったら、こんなモン書くんじゃねぇってお叱りを受けそうだが。それでも愚生は反論なんか一切いたしません。だって、オイラとは考えが違うんですからね。それを説得しようなんて気はさらさらありませんから。だから、拙ブログに何を書かれても、一切反論しないのであります。もっとも、コメントをいただいても、掲載するかどうかについてこちらに選択権がある以上は、ショウガナイのでありますが。
(^-^)/
横山紘一先生である。弟子を僭称させていただいている。
横山 紘一(よこやま こういつ、1940年 - )は、日本の仏教学者。唯識塾塾長。立教大学文学部名誉教授。鹿島神流師範。
経歴 [編集]
- 1940年(昭和15年)、福岡県生まれ。
- 1964年(昭和39年)、東京大学農学部水産学科卒業。
- 1967年(昭和42年)、東京大学文学部印度哲学科卒業。
- 1974年(昭和49年)、東京大学文学部印度哲学科博士課程修了。
著書 [編集]
- 『唯識思想入門』(第三文明社[レグルス文庫]、1976年(昭和51年))
- 『君はなぜ生きてるか』(渓声社、1976年(昭和51年))
- 『唯識の哲学』(平楽寺書店、1979年(昭和54年))
- 『仏教思想へのいざない』(大明堂、1984年(昭和59年) → 大法輪閣、2008年(平成20年))
- 『唯識とは何か』(春秋社、1986年(昭和61年) → 2005年(平成17年))
- 『十牛図の世界』(講談社、1987年(昭和62年))
- 『十牛図・自己発見への旅』(春秋社、1991年(平成3年) → 2005年(平成17年))
- 『わが心の構造』(春秋社、1996年(平成8年) → 2001年(平成13年))
- 『「唯識」という生き方』(大法輪閣、2001年(平成13年))
- 『やさしい唯識 心の秘密を解く』(日本放送出版協会[NHKライブラリー]、2002年(平成14年))
- 『争はいやだ!!「雨ニモマケズ」の理念に生きる』(共著:田中治郎、佼成出版社、2006年(平成18年))
- 『十牛図入門 「新しい自分」への道』(幻冬舎新書、2008年(平成20年))
- 『唯識でよむ般若心経』(大法輪閣、2009年(平成21年))
- 『唯識入門講座』(大法輪閣、2010年(平成22年))
- 『唯識仏教辞典』(春秋社、2010年(平成22年))
- 『阿頼耶識の発見 よくわかる唯識入門』(幻冬舎新書、2011年(平成23年))