おはようございます。今日も暑い。5時前に起きてシャワーを浴びた。昨夜は汗びっしょりだったんで。話にならない。いつもは風とおしもいいのだが、2階に寝ているので。昨夜はダメだった。海岸沿いに住んでいるので、けっこう快適な土地なんだけどねぇ。ダメな時は、ダメ。(>_<)ゞ #fb
起き抜けに血圧を測った。128だ。睡眠をとれば、あまり上昇しない。そうか、そういうことなのか。早朝に起きて、駄文書きをすればいいのだ。どうせ誰も期待なんかしてくれていないのだし、そんなに焦る必要はないのだ。新発見である。自分が信じた道を行けばいいのだ。
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昨日、図書館から借りてきた本「盆踊り 乱交の民俗学」をPDFにしている。その作業をやりながら、Twitterを書いている。わははははは。しかし、この本のタイトル、実にいかがわしいのだが、ヒジョーに面白い。 #fb
民俗学めいたものをやらせていただいていると、趣味が学問で、学問が趣味でというようにどっちがどっちだかわからなくなる。これもまた楽しい。旅行に行って、勉強になると云うんだからこんないい勉強はない... goo.gl/js0n0B
「国語教育」と「国語科教育」とのちがいは意識されているか。「国語教育」というと、日本独自の「国語」の教育のようだ。だが、「国語科」というのは教科名だから、「国語科における教育とは何か?」が問われるだろう。そのとき、言語教育としての日本語の教育だと考える人がいるだろうか気になる。
t.asahi.com/c1md「ポスドクを経験した芥川賞作家の円城塔さん。…欧米と異なり、「日本企業は、博士は専門化しすぎて役に立たないと、敬遠する傾向が根強い」という。 「博士課程まで勉強した若手を疲弊させてしまっては、日本の対外競争力は確実に落ちる」と指摘」
[政治]「風が吹くまで昼寝」と一句詠んだ民主元幹部 - 読売新聞 j.mp/16AJOJa 「風車風が吹くまで昼寝かな」――。民主党の前原誠司前国家戦略相は7日、前原グループの会合で、広田弘毅元首相が左遷された外交官当時に詠んだとされる俳句を紹介し、「いずれ…
長谷川修一著『聖書考古学』中公新書、読了。タイトルから受ける期待を一分も裏切らない素晴らしい内容。聖書のドラマティックな内容への魅力と考古学成果による科学的な検証がせめぎあい、実にスリリング。面白かった。次は是非『新約聖書』編も読みたい。
40年も国語科教育について考えてきたが、本当に日本の子どもたちの言語能力を高めるための教育が行なわれてきたのか疑問である。多くの教育実践がその場しのぎの技術的なものに留まっている。教育の基礎となる哲学や理論が議論されない。日本語の言語教育の基本となるのは論理学と文法の2つである。
公開講座「やりなおしの初級中国語」、第1回はpinyinの復習、第2回は補語の復習、第3回は府大版「宅女の部屋」、スマートフォンやタブレットを中国語学習に活用する方法について紹介します。iPhone・iPadを使って説明します。
osakafu-u.ac.jp/data/open/cnt/…
この「低学歴の世界」を、そうじゃない違う世界と切り離さないで、って思った。
どこかでパイプ繋げて。
それじゃないと、いつまでも、ちゃんとした世界に入れなくて、この世界に取り残される人がたくさんいる気がした。 luvlife.hatenablog.com/entry/2013/08/…
全体性と客観的な経験とのこの「彼方」を、にもかかわらず、純粋に否定的な仕方で記述することは出来ない。この「彼方」は、全体性と歴史の内部、経験の内部にも映し出されているからだ。-全体性と無限-
平和を人々に与えるためには、次のことを学び、理解しなくてはなりません。それは、私たちの心が神で満たされていない限り、他の人に愛や平和を与えることはできず、この世界に真の平和はないだろうということです。
「またスマナサーラ長老の怒らないことを人に勧めることなったよ~」って友だちが言ってた。怒りに悩んでる人がまわりにいっぱいいるんだそうです。ちなみにその友だちはいつも笑顔で、ほとんど怒ることがないすてきな人。
北畠親房という人、知れば知るほど、なんか面白い。関東で周囲の武士宛に出した書簡など、貴族ながら長く戦いの最前線にいたはずなのに、あくまで自分の理念に忠実で、現実の知り合いにいたら嫌なタイプでしょうが(笑)、後世の人間から見る対象としては興味深過ぎます。
2012年度の中学校の不登校生徒比率地図。最高は宮城の3.1%。今朝の朝日新聞でいわれていたように,震災による影響か。 pic.twitter.com/tSjNeH7nm0
コミュニケーションの問題点は、国語科教育での文章の読み方の問題ともつながるようだ。つまり、あらゆる文章を作者のメッセージとして受け止めるのはまずい。書かれた文章を自立した作品として読むべきだ。作品は書き手と読み手との境界にある。書き手からも読み手からも距離のある中立的なものだ。
戦争によって道徳は嗤うべきものとなってしまう。手立ての全てを尽くして戦争を予見し、戦争において勝利する技術、つまりは政治が、かくして、理性の働きにほかならないものとして理性に課せられることになる。哲学が素朴さに対置されるように、政治が道徳に対置されるのである。-全体性と無限-
暑かったねぇ。まったく暑かった。今日でオレの授業(教えている方の大学)は終わり。さっきテストの採点も終了した。さ、これからがオレの夏休みだよん。(^0^) #fb
漢文の原文を入力していて、データが消えていたときほど、がっかりすることはない。今日の午後、それがあったのだ。がっかりした。高校野球を見ながら、急遽再入力した。参ったな。参った。#fb
ま、こんなこともある。オレの人生こんなことの繰り返しだったよん。足も痛ぇし。ある理由で右足だけ痛ぇのだ。だから、動けないのだ。パソコンやっているしかないのだ。それにTwitterからのFBとの連携がとれない。いろいろあるな、いろいろ。#fb
明日は在籍校への登校予定日だが、院生室は開いているのかな?図書館も院生だけ入れると聞いていたけど。ホントなのかな?自分の車で行ってみようっと。電車の定期券が期限切れだし。明日も漢文のデータが消えたら、悲劇だわい。(>_<)ゞ #fb