[孫が来ている 実に楽しい!]
昨日から孫が遊びに来ている。ベビーギャングとはよくも云ったり。あははははははである。
オレの書庫で、籠もっていると思ったらなんと文庫本を引っ張り出して、表紙を捨てる作業にムチュウになっていたのだ。ま、いっかと思って見ていた。そしたらダンダンエスカレートしていく。ちょっとここまででっせとやんわりと中止させたら、まあまあ地団駄踏んで悔しがる。叱ったつもりは無かったが、じーさまに禁止されたもんだから、こころの底から悔しがっていた。
こうやって大きくなっていくのだろうなぁ。頼もしいもんだ。読みたい本があったら、全部あげるから、持ってけぇとなるのは目に見えている。それでいいんだ、それで。全ては贈与である。オレのやったことなんか、屁みたいなもんだし。後は、後世に生きる人間がそれをどうやって生かしていくかだけである。オレの楽しみは。
生かしていくのか、捨てられるのか。そんなことはわからない。伝承文化でも捨てられたというケースは多々あるからである。それは後世の人々の意思に関わることである。今からどうのこうのと云っている資格はない。
今日は、鬼来迎がある。
横芝光町である。楽しみである。ただ、今年は足が痛いから、行けるかどうか。途中まではチャレンジするが、ダメだったら光町図書館に籠もる。DVDを返却しながらである。体力と相談しながらだ。無理は禁物。なんでもそう。無理はしない。年寄り半日仕事というではないか。
孫が来ているから、原稿書きのスピードは当然のように落ちる。しょうがない。どっちも楽しみであるから。遊んでいるだけでも、実に楽しいのだから。
オレはほんとうに仕合わせである。孫に恵まれ、どうやら配偶者にも捨てられず、なんだか知らねぇが大学生までやらせていただいている。収入はスズメの泪ほどだが、若干のアルバイトもさせていただいている。しかも、専門は国語なのに、数学と英語もやらせていただいておる。頭の活性化には実にいい。これも最初は配偶者に徹底的に反対されたアルバイトである。みっともないというのだ。なんで?と何回かやりとりした。塾の講師までやらなきゃならないるほど借金で困っているのかと云われてしまうというのだ。そりゃ生活は楽ではないが、そういう次元でやっているのではなくて、やりたいからである。頭の活性化になる。しかも、異分野である。これがいいのだ。これが。英語でサマリーを書いたりせにゃならんし、教えていると、勉強もせにゃならん。専門の枠に閉じ籠もっているのがいちばんよくないのだ。
だから、元公務員だとか、高校教師だったとか、こーちょーだったとか、前歴に囚われてはならんのだ。そんなもん、風にそよぐ葦である。ちょっとそよ風が吹いたら、無くなってしまうのだ。無、である。そもそも。最初から。
そんなもんに囚われないことだ。なんでもそうだ。恋人とかにも囚われないことだ。嫌い!とか云って、自分から去っていったオナゴは捨てておけっちゅうもんだ。(^0^)
あ、そもそも去っていくようなオナゴがいなければ、そりゃそもそも無理だちゅうもんだけどね。
またつまらないダジャレを書いてしまった。
反省している。
オレは、いつも真剣に書きたいと思っているのだが、キーボードを打っていると、どうしても諧謔を書いてしまう。これってもう直らないんでしょう。
孫に伝染しなければいいのだが。
じゃあ!
今日も暑いのかなぁ?
(^_-)-☆