年代的な差異というものを考えることがあったが、若い方でも唯心論的な思考をされる方があって、この4月からの大学のゼミでは驚くことがたくさんであった。若い方というのは唯物論的な思考をするものなのだ... goo.gl/LPBUrd
去年の記事 山月記から李陵へ blog.goo.ne.jp/tym943/e/91a81…
保健体育の要点整理集の改訂作業終了。今年は微修正にとどまった。でも,5月に出た「運動部活動指導のガイドライン」は入れておいた。mext.go.jp/a_menu/sports/…これは出るっしょ。
宗教、神学の終末論は、それが未来を証明し、存在の目的を掲示する一箇の神託のように、哲学的な明証を「補完」しているかに見えるが、それは信念-憶測が明証性に摩り替わってしまっているだけなのであって、それでは終末論は戦争に発する全体性の存在論を、既に受け入れてしまっていることになる。
六波羅蜜寺平清盛坐像:武士として初めての太政大臣に上り詰めた平清盛の坐像。経巻を手にしたその風姿は平家物語に描かれている清盛の傲慢さは全くなく、仏者としての気品を覚える。目には水晶が入っている。twitpic.com/9csvdd
Facebook でも、なかなかお友達になるのがむずかしい。正体不明の人からリクエストが来るけど、「この人はなぜ私に関心を持ったかな」と困っちゃいます。「個人情報保護法」というものも、お互いに連絡して知らせ合うことを妨げています。仲間にはもっともっと自分のことを知らせたいんです。
ネット利用者は覚悟が必要だ。「テロリスト」と疑われたら書き込んだ記録はすべて捜査権力に開示される。たしか、2011.3.11直後にそういう法律ができていたはずだ。憲法21条「通信の秘密」は守られなくなっているという覚悟が必要ですよ。それを気にしてもっぱら郵便を利用する人もいます。
[存在の内に巻き込まれていると同時に人称的でもある]存在者は、自らの訴訟で抗弁すべく呼び出されており、従って既に成年に達しているが、他方まさに成年であるが故に、歴史の匿名的なことばに対して単に口先で同意を与えるのではなく、ことばを語ることのできる存在者なのだ。-全体性と無限-
映画のシナリオには「ダレ場」というものもある。また悪役もいる。しかし、さまざまな対話を経て、ある種の真実が浮かびあがる。それをドラマという。古くはギリシャ哲学のプラトンの対話篇の例がある。それぞれの局面では、いらいらしたり残念に思ったりするが、最終的にどんな真実にたどりつくか。
「どうせたいしたことはない」と思っていたが期待は裏切られた。「NHKスペシャル激論!ニッポンの平和」がすばらしかった。まさにドラマである。感動がある。見なかった人たちにも録画して見てもらいたいものだ。これこそNHKの真骨頂である。戦後68年の日本の終戦記念日にふさわしい番組だ。