と~ま君の部屋

楽しい老後を送りたいとやっています。所詮人生回り道。修士(人間学、仏教学)。ぼけ防止・脳のリハビリでやってるブログです。

マレビト信仰(芸能)と神々のイメージ

2013年02月19日 22時41分37秒 | 大学院博士ごっこ2012年から2015年

 今回の石垣島の旅で得たイメージである。石垣島からのプレゼントである。

 異形の神々への畏敬と畏れ、鎮魂ということを考えることがある。八重山諸島には、1771年に大震災があった。明和大津波である。明和8年新暦4月24日である。石垣島の東南地域でマグニチュード7.4規模の大地震が起きた。それにともなう大津波が宮古・八重山諸島に押し寄せた。古文書「大浪之時各村之形行書」によれば、遭難死者行方不明者は総計9313名、当時の八重山の総人口は28896名であるから32.22%である。この明和の大津波は、震源地から西北方へ激しく押し寄せたが、八重山諸島独特の珊瑚礁でできている防波堤によってブレーキをかけられた。それでも宮良集落を襲った津波は、大きな悲劇をもたらした。津波による島の耕地の海への流出、塩害による農耕の被害、疫病の蔓延、人頭税の負担、マラリア地帯への強制移住等々の問題をもたらした。

 その中でも、この宮良集落の再生を目指しての努力は実にたくましい。傾聴に値するものであるが、そこに至る住民の皆様がすばらしい。

 宮良の人々は、強制移住を近くの小浜島からさせられたのであるが、哀しい体験を御嶽信仰を持つことによって乗り切っていこうとした。強制移住の前に持っていた小浜島の小浜御嶽の分神を祀ったのである。八重山研究の学祖である喜捨場永先生が「八重山歴史」(国書刊行会 1975年)で書かれていることである。

 御嶽信仰を根本としているマレビト芸能である「ダートゥーダ」「ミルク」の芸能の源流は、この宮良集落を襲った津波の惨劇を考えることなしには、解明できないのである。

 特に愚生は「ミルク」信仰に興味を持っていたのである。それはその仮面の独自性にある。「ミルク神」とは、弥勒(ミロク)のことを指すのであるが、布袋様のような顔をされているのである。日本本土の弥勒菩薩様とは全く違う顔をされている。琉球弧のミルクが中国南部を基とする弥勒信仰の影響を受けているとされる。また、弥勒信仰とは琉球全域に流布する民間信仰であって、弥勒菩薩が海の彼方から五穀豊穣と幸福を招来させると信じられている。大きな仮面をつけて、衆生救済の神とされている。

 なぜ、このミルクに関心があるのかというと、鬼来迎の菩薩の仮面に似ているからである。このことはここまでにしておくが、非常に興味ある資料である。

 小浜島から移住させられた人々は、宮良の集落で営々と働き着々と生きてきた。今回の旅で集落の中を通らしていただいたが、その当時の人々のことを考えると涙を禁じ得なかった。

 これらの人々が持っている共同体意識「うつぐみの精神」について、着目せざるを得ないのである。

 もう一方の「ダートゥーダ」は、小浜島では疫病神であると言い伝えられている。石垣島宮良の疫病への恐怖と小浜島の「ダートゥーダ」はつながっているのだ。怖れの神として。マレビト芸能としての「ダートゥーダ」は、鎮魂の儀として小浜島を結ぶ神事芸能であると解釈するのがもっとも適切であろうと思うのである。

 芸能を奉納することによって、疫病神を鎮魂するという神事である。このことは非常に注目せざるを得ない。信仰というものの根本である。そうすると見えてくるものがある。民間宗教の成り立ちである。今回の石垣島で得たものはこれであった。そしてそれは、これから愚生が追究していこうとしている課題ともつながるのである。

 ただし、愚生は狭い信仰対象としてこのことを考えようとしているのではない。ケン・ウィルバーの言うところの手法をここで支持したいのである。

 

 ふうう、疲れました。

 それではお休みなさいませ。

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