8月6日、9日、広島、長崎で原爆でなくなった御霊への慰霊の式典、核兵器廃棄への祈念式典が行われ、初めてアメリカの駐日大使が参列した。20世紀初め、大国、ロシアに勝利した日露戦争が軍部の独走をまねき、東アジアを支配し、結果としてパールハーバー、太平洋戦争勃初、硫黄島全滅、沖縄、東京、壊滅、広島、長崎原爆、そして8月15日の終戦となった。日韓併合100年という。戦争とはこんなもんだ。やっちゃいけないことだ。
そんな終戦間際、3月に吉永小百合、5月に私は生まれた。よくもこんな時に無事、出産ができ、生きながらえることができたものだ。産婆さんというすばらしい人がおり、両親が必死に守り育ててくれたということだ。
吉永小百合、1960-70年代の日活の大スター、団塊の世代には俗にいう「サユリスト」がわんさといるだろう。高校時代にテレビにでていた吉永小百合を写真にとって大事にしていたことを思い出す。その吉永小百合が被爆者との純愛物語で広島に関与して以来、自分にできることは何かということで「被爆者の苦しみ、戦争の悲惨さ、平和への想い」を朗読会という形でスタート、もう20数年続けているという。戦後65年、平和ボケの日本でこれだけの平和、反戦活動ができるというのはすごいことだ。
経営コンサルタントとして35年、ビジネス戦争のなかでいかに勝ち残るかとういうテーマでやってきて、倒産の悲惨さを避けるべく経営支援をやってきたがリタイアした今、またやろうという熱い思いは湧き上がってこない。なぜか?所詮、その程度の世界であったのかもしれない。これから15年、とりくむテーマは模索中。
そんな終戦間際、3月に吉永小百合、5月に私は生まれた。よくもこんな時に無事、出産ができ、生きながらえることができたものだ。産婆さんというすばらしい人がおり、両親が必死に守り育ててくれたということだ。
吉永小百合、1960-70年代の日活の大スター、団塊の世代には俗にいう「サユリスト」がわんさといるだろう。高校時代にテレビにでていた吉永小百合を写真にとって大事にしていたことを思い出す。その吉永小百合が被爆者との純愛物語で広島に関与して以来、自分にできることは何かということで「被爆者の苦しみ、戦争の悲惨さ、平和への想い」を朗読会という形でスタート、もう20数年続けているという。戦後65年、平和ボケの日本でこれだけの平和、反戦活動ができるというのはすごいことだ。
経営コンサルタントとして35年、ビジネス戦争のなかでいかに勝ち残るかとういうテーマでやってきて、倒産の悲惨さを避けるべく経営支援をやってきたがリタイアした今、またやろうという熱い思いは湧き上がってこない。なぜか?所詮、その程度の世界であったのかもしれない。これから15年、とりくむテーマは模索中。