1羽だけのめじろ、なんだかさびしげな表情。
ボウリング仲間のYさんの奥様がなくなられ告別式に参列。外は雪交じりの寒い日、ご遺族の悲しみを象徴するような天気。しばしば奥様の見舞いなどでボーリングを欠席しておられた。しばし元気になられ自宅に帰っておられると聞いていたのに残念なことだ。立派に成長された息子さんが3人おられ、遺影のお母様もあとはお父さんよろしくねといった感じ。Yさんも心は定かではないがいつものひょうひょうとした感じにみうけられた。式の初めに奥様の思い出が写真映像でスクリーンで紹介され、夫をたすけ、愛情もって三人の息子を育て上げ、すきなカラオケや旅行で老後を楽しんでおられるさまが紹介されていた。浄土真宗本願寺派の僧侶の読経で式が始まる。南無阿弥陀仏が繰り返され、他の経文はほとんど聞き取れない感じ。ただひたすら阿弥陀仏の教えに従えば幸せになれるという親鸞、浄土真宗の教えだろう。焼香が始まり、僧侶が退席し、喪主挨拶と続く。祭壇をながめながら自分も近い将来こういう場面に遭遇するのだろうなと思う。妻より先に逝ってしまう可能性のほうが高いがいずれにしても生老病死、ひとは必ず死ぬ。明日かもしれないし、20年後かもしれない。余命宣告でもされないかぎり、明日死ぬかもしれないから今日悔いなきように生きようと思うような人は少ないと思うが。
妻は自分の葬儀などせんでいいよ、誰にも連絡しなくていいなどという。どんなもんかね。流通コンサルタントの金子哲雄さんが41歳でなくなり息を引き取り間際まで「エンディングノート500日」とやらを執筆し続け、自宅でなくなったとか。葬儀のやり方、会葬者へのあいさつ、相続など後に残される奥様が心を煩わすことがなく生きて行けるようしたためたとか。雪の降る中で出棺に際して3人の息子さんを代表して長男さんが参列者に挨拶をしていたが葬儀というのは残された人や参列者が幸せな人生を送れるよう、生きることを見直させる機会を提供するものであるのではないかと思った次第である。