九博のアート関連行事やその後のFB友達になった猫石作家のTさんの奥様が乳がんでなくなられた。ご主人がFBで死去報告をされ、交流のあった多くの方々がFBで弔意の投稿をされている。私のFB投稿にも何回かコメントをいただいたやさしい微笑みが記憶にのこる女性。確か2022年に乳がんが発覚、摘出手術や抗がん剤治療を続けておられたが去年転移が確認され、年明け早々逝去された。
たまたま真宗大谷派の僧侶、川村妙慶さんの「泥の中から咲く」という本を図書館から借りてきて読んでいた最後の章に「死は生の完成」というくだりがあった。
人間は縁によって親が結婚し、おぎゃーという泣き声をだしながら、四苦八苦のこの世に産み落とされ、そしてもろもろの縁によって現在生かされており、縁が尽きると死んでゆく。何一つ自力で統御できるものではなく他力によって生かされそして死んでゆく。したがって死んでゆくときにわが人生悔いなし、これでよかったのだと思えて死ぬことができれば最高、死はまさに生の完成になるというわけ。だから明日なき身とおもいつつ、今日を精一杯、感謝をこめて生き尽くしなさいと・・・
真宗の宗旨からいうと、葬儀でご冥福を祈りますとは言わない。すでに阿弥陀仏に帰依した生き方をしていれば亡くなった時には浄土に迎えられることが約束されているというわけ。
しかし、身近な方が亡くなられるとやはりこの世の、人生の儚さを痛感する。
夕食は久方ぶりにすき焼きだった。たまたま大阪の弟が正月はすき焼き鍋を皆で囲んで楽しんだようだとカミさんに話していたのを覚えていて今宵のメニューにしてくれたのだろう。レンタル農園で収穫してきたネギがたっぷり入ってうまかった。今年初めての日本酒を熱燗でいただいた。なんやかや言いながらもカミさんは昼はぜんざい、夕食はすき焼きと、私のことを考えながらやってくれているようだ。
「あり難い」の反対語は「当たり前」と妙慶さんの前述の本にも書かれていた。当たり前と思っている間は感謝の気持ちもおこらず、今日一日の幸せにもつながらないということだろう・・
FTさん、ご浄土でゆっくりおやすみください・・・・
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