ゴールデン・リタイアーズ

S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

160423 活断層の長期評価で危険視されていた布田川、日奈久断層。あらためてハザードマップチェック

2016年04月23日 | アフターセブンティ

14日21時過ぎの熊本県益城町の震度7の地震発生から8日すぎた今、いまだに余震が収まらず被害の全容さえ把握できていない。熊本県を中心とした地震の総回数は23日午前零時現在815回に達しており、そのうち震度4以上の地震は93回にもなる。震源地周辺のかたがたの不安感はいかばかりか想像にかたくない。

16日の本震ではマグニチュード7.3を記録したがマグニチュードは震源の地震の規模をあらわし一つの地震で一つの数値だが震度は震源からの距離とか地盤の固さにより異なってくる。

 震度4というのは歩行者のほとんどが揺れを感じ,つりさげものが大きくゆれる。震度5弱になると大半の人が恐怖をおぼえ、ものにつかまりたいと感じる。震度5強になると物につかまらないと歩くことがむつかしく、食器や本がおちブロック塀がくずれはじめる。震度6弱になると、立っていることが困難になり、固定していない家具の大半が移動し、倒れ耐震性の低い木造建築は傾いたり倒れる。震度6強になると、はってしか移動できず家具のほとんどが倒れ大きな地割れが生じる。震度7になると耐震性のひくい木造建物は傾き倒壊する。

 福岡市の防災センターでM7、震度6弱の福岡県西方沖地震(H17年3月)の揺れを模擬体験したがまさに横揺れがぐらぐらっときてテーブルごと横滑りになってしまうようなすごさであった。風速30Mも体験したがこれも何かにしがみついていないと立っておれないすごさであった。いずれにしても現場で体感された人たちは生きた心地がしなかったろう。こんな恐怖をおぼえる震度5弱以上の地震が17回もあったのだから熊本城も阿蘇大橋も宇土市役所も市民病院もひどい被害にあってしまった。

 九州の活断層(過去に活動した跡が残る地層)は網の目のようにひろがっており、まさに地震列島に住んでいることを自覚しなければならない。2013年に政府の地震調査研究推進本部が「活断層の長期評価」というのを公表しており、30年以内にM6.8以上の大地震がおきる確率は九州北部で7~13%、中部で18~27%、南部で7~18%と予測、九州全体では30~42%となっており、今回の布田川断層帯と隣接する日奈久断層帯が同時に活動すればM7.8~8.2程度に達すると評価しているから驚きである。川内原発近くにも断層帯がちかくにあり能面のように大臣や原発規制委員会の責任者が大丈夫などと言っている姿をみるとうすら寒い気がしてくる。要するに国民一人一人が心の備えを強くしないと他人事ではないのである。

 あらためて市から出されているハザードマップを開いてみる。福岡県西方沖地震があった警固断層帯北西部(玄界灘、志賀島周辺25KM)と博多湾から福岡市中央区、南区、春日市、大野城市、太宰府市、筑紫野市に至る警固断層帯(南東部)27KMがあり、とくにエネルギーが集積している南東部が危険で今後30年でM7.2程度の大地震が0.3~6%の確率で発生するとしている。これを確率が低いとみるか明日おこるかもしれないとみるかは、人それぞれの価値観にゆだねるしかないが、すくなくとも自分の家が耐震強度大丈夫かとか家具補強などしておくべきだろう。昭和56年以前の建物は震度7でほぼ100%倒壊する。昭和56年以降の建物で55%倒壊と予測されている。

 我が家は平成8年、SXLの施工。20年前の資料を引っ張り出して確認。従来の柱や梁でささえるという工法でなく、1~2階通しの木質パネル一体構法、いわばパネルを箱のように組み立てるので地震の揺れを面でうけとめ衝撃をすみやかに基礎から地面に逃がす、構造部材の接合部の金物も独自開発の強固なはずれないものとある。震度7の耐震試験にパスしており阪神淡路大震災でも倒壊しなかったとある。とりあえずはこれを信用するしかないが地盤によっても違うだろう。

 家内の友人の自宅も損害ひどく「応急危険度判定」をしてもらう必要があるが、まってもおられず佐世保の親せきの家に避難して、孫の幼稚園の一時編入処置をしたとか。しばし大人も子供も忍の一字でがんばるしかないといっておられるらしい。被災者の方々がもとの生活に戻れるのには長い期間がかかるかもしれないが、われわれもできうる限りの支援をしたいものだ

コメント
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