人口400万人の小国、ジョウジアの星、栃ノ心が30歳で涙の初優勝。白鵬が早々と休場し、鶴竜の休場明け優勝を画策、モンゴルストーリーだと愚考した予測が外れた。鶴竜が10連勝したときには安定した相撲ぶりに全勝優勝するのではと思ったが、悪い引き癖がでてその後4連敗、その間隙を縫うように甲冑を身にまとったような平幕栃ノ心が握力90の怪力で14日目にして初優勝を決めてしまった。
だいぶ前の不祥事を報告しなかったとして春日野部屋はニュースの渦中にあったが6年ぶり平幕優勝のビッグニュースで帳消しになってしまった感じ。
ジョウジアの大統領以下の国をあげての祝福はすごいものだ。栃ノ心は両国をつなぐまさに親善大使だね。まあよかった、よかった。はやいとこ、ジョウジアの新妻と生まれたばかりの娘さんに会わせてやりたいものだ。来場所はいきなり関脇に昇進するのかしら?
九博で消防避難訓練があるというので出席。なぜ今頃訓練か。昭和24年の今頃、奈良法隆寺金堂が火事、壁画が焼失してしまった。なんと壁画の模写作業をしていたときに画家が使用してた電気座布団の消し忘れが原因で出火。本物が焼失、模写壁画がその後使われたという。この事件を契機に昭和30年文化財保護法ができ、この時期、消火訓練などが行われるようになった。つい先日太宰府天満宮でも消火訓練が行われ巫女さんたちが消化ホースをにぎって訓練している様子が新聞に出ていた。
太宰府消防署から3人、訓練にこられ、1時半から1時間講習。「今、大地震が勃発したらあなたはどうしますか」ビデオ30分、その後パワーポイントで講習。地震対策概論といったところ。実際起こればそうはいかないことは想像にかたくない。それゆえに普段からの準備心構えがだいじなことがわかる。私の寝所の押し入れにはバイクのヘルメットとシューズがいれてはいるが家具倒壊対策など不十分だね。
いったんボラ室にもどり、15時、地震発生の館内アナウンス。テーブルの下にはいりこむ。茶室で出火、北側でガス噴出など館内放送。九博内で構築された消防隊のボラ室担当のHさんの誘導で南側バス駐車場方面に避難。出口の電気錠締まっており焦ったがすぐに開錠、駐車場に避難。寒い。
寒さに耐えながら全員の集合をまつ。15時半、エントランスホールに場所をうつして閉会式。
数百名が観覧している特別展の時に地震などが発生した場合、九博消防隊などがよほどしっかり指示誘導しないと大混乱は避けられない気がするね。自助、共助、公助!まずはおのが身や来館客の安全を担保して、文化財を守るという行動をとるのが基本なのだろうが、人担当、文化財担当など明確に分けておく必要がありそう。あらためて我が家の緊急対策を見直してみよう!
1949(昭和24)年1月26日7:00、法隆寺金堂から出火し、内部を全焼して鎮火するという出来事があった。出火元は電気座布団、壁画の模写をしていた作業員が寒さをしのぐために使用していたもので、皮肉にも壁画の本体は失われて、その模写によって現在、法隆寺金堂のかつての姿を偲ぶ事ができる。壁画の破損は火災だけでなく、消火作業のホースの水圧で剥がれたものもあった。法隆寺金堂は世界最古の木造建築として知られ、この翌年に焼失する金閣寺ともども、特に連合軍も空襲で焼くのを避けようとしていて、戦災を免れたものだった。
この火災、火元は電気座布団とされたが、それが電源の切り忘れによるものだったのがわかったのは、1968(昭和43)年1月25日、法隆寺保存工事事務所の電気技師だった男性が実名で偽証を毎日新聞に告白してからである。この男性は電気座布団の電源を切り忘れた画家をかばって偽証をしたのだった。この電源を切り忘れた画家は福島出身で、後に平成に入ってから文化勲章を受章している。電気技師は食糧難と貧苦の中、金にもならない法隆寺壁画模写に身骨を削る画家たちの姿に打たれて、世間の非難がこれら画家たちに及ぶのを関係者と相談の上、緘口令を敷いて防いだのだという。