人生80年、最初の20年は学び鍛える時代、次の40年は、働き、結婚し、子孫を残す時代、そして最後の20年は束縛から解放されて遊ぶ時代。勉強も仕事のためや出世のためでなくあくまで自分のためで期限やノルマはいらない。
論語とはご承知のように、今から2500年くらい前の中国、春秋の時代の思想家「孔子」の言葉を弟子たちがまとめたもので、今なおよき人、よきリーダーたらん人たちに読まれている。政界では管降ろしで野党がさわいでおり、与党民主党までも分裂している。日本の政治はどうなっているんだと苛立つが真のリーダーが不在ということか。論語の中では「士」とはいかにということで上に立つひとのあり方を説いている。
H15年12月29日に筑紫野夢タウン、積文館にて購入と裏表紙に書いてある「中野孝次の論語」をひっぱりだしてあらためて読む。40年のビジネス戦士時代の人間模様、テレビで垣間見る政界、財界、マスコミ、芸能人などの言動などみるにつけなるほどとうなずく項目が多い。「己を行うに恥じあり」からはじまる26章の中野流論語エキスが私の波長にあったから多分買ったのだろう。
「知る」とはどういうことなのか。原発に海水を入れるのを止めたのはだれか?なんのことはない現地所長の判断で海水は注入され続けていた。バカなことに国会では誰の判断で止めたかと紛糾していたのだからあいた口がふさがらない。
本物の知は善をもたらすが、知ったかぶりは、空虚なおしゃべりに過ぎないと中野流論語解釈。政治家も財界もマスコミもはたまた我々も、私も空虚なおしゃべりをしているだけではないか
「○●について」という話はほとんどが無責任な空虚なおしゃべりだ。「○●を」私はこう判断する。だから私はこう行動する」これが責任ある人間の態度だという。マスコミ情報や人の受け売りは無責任なおしゃべりだ。自分の目と耳と足で現場で確認し、自らの行動意思を示すことこそ「知る」ということで、それ以外は「知らない」といえることが本当に知るということ。
ネット情報をはじめとしてわれわれは知っているつもりというのが多すぎるね。あらためてじっくりみずから吟味する態度が必要だ。
あらためて論語をみなおし、真理を追究する。「楽しんでもって憂いを忘れる」
自分から問いを発し答えをみつけることは最高の楽しみだ。という境地を孔子は持っていたらしい。ボケないためにも本を読み考える。
今、実行している論語の教えがある。
「己の欲せざることは人に施すなかれ」である。イライラせず、ゆったり行こう!
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